DT08-01 ➡ 第1の教訓 一一 相場がよくない時には現金が一番

臆病者は危険が訪れる前におびえ、腰抜けは危険の最中におびえ、勇者は危険の去った後におびえると言われる。 もし、これが正しいならば、トレーダーは勇者に分類される。 
トレーダーは危険が訪れる前におびえることはほとんどない。 むしろ、危険の後で、冴えないマーケットで苦痛を味わうことのほうが多いのではないか。 
プロと呼ばれる連中の間では、これは必ずしも当てはまらない。 例えば、投資信託の若いファンド・マネジャーが危険の最中におびえているのを見たことがある。 
彼は先の分類でいえば腰抜けに該当するのだろう。 ファンド・マネジャーや投信運用会社のアドバイザーとして、我々は巨額の資金を運用する者たちと日々会話をしている。 
マーケットが不確実性を増し困難な局面になった時には、これらの会社の若いファンド・マネジャーたちは間違いなくパニックに陥って
狼狽するのである(米国の投信運用会社のファンド・マネジャーの平均年齢は30歳以下である)。 
かつてマーケットが急落した局面で、我々に日々アドバイスを求めている若いマネジャーが言った言葉は、これらプロの人間の恐怖を絶妙に表現していた。 
「オリバー、今回に限っては、本当に不安だ。 いったい何が起こっているのか見当もつかないが、突然、自分がひどく腹の減っている人のところに配達されているピザになったような気分だ」。 
このような言葉を聞くと、彼らが多くの米国人の財産を預かっていることが心配になる。 
しかし、最も恐ろしいことは何十億ドルもの資金を運用しているファンドマネジャーが、1つのことを実行することしか知らないということなのである。 
たった1つのアプローチである。 彼らは1つの手段しか有していない。 1つの方法論、1つのアプローチである。 彼らは、さらに買うことしか知らないのである。 
なぜ、そうなのだろうか。 それは90年代を通じて、その方法が魔法のようにうまくいったからである。少なくとも過去10年間はたいていの時期において、下がれば買いというアプローチが主流であった。 
そのアプローチはうまく機能していたし、その結果、富を築くことができ、快適な生活が送れたのである。 さらに重要なことは、それが簡単な手法だったことだ。 
しかし、マーケットが本当に不透明な状況になってくれば、「買い増し」アプローチが有効かどうかはわからなくなってくるから、ファンドマネジャーにとっては厳しい局面となる。 
これらのファンドマネジャーの名誉のために言っておくと、それ以外に選択肢がなかったのである。 ポートフォリオの200万株が急落している時に何ができるだろうか。 
売りに転じて、パニックと混乱を助長することが正しい選択だろうか。あるいは、混乱状況を見極めて、さらに買いを入れるべきだろうか。 
あるいは、運用資産が刻一刻と減価していくのを横目で睨みながら、何もせずにじっと嵐が過ぎ去るのを待つべきだろうか。あるいは、破産を申請するべきだろうか。 
これは大いなるジレンマである。 我々や読者は、このジレンマに陥らずに済んで幸運である。 
私は、「トレーダーでよかった」と心の底から思う。 このような懸念を感じる必要はトレーダーにはない。 
今後2日から5日間程度の期間で値を上げそうな銘柄があれば、それを買えばよいのである。 
しかし、完璧な世界に住んでいるわけではないので、我々はストップロスという撤退プランを持って臨んでいるわけなのだ。 
これは臆病であることを意味せず、賢さ、そして現実的であることを意味するのである。
多くの初心者は防衛的なストップロス・オーダーが執行されると、ひどく狼狽する。 
確かにストップロスが執行されることは気分がよいものではないが、それは敵ではなく、友人であるととらえなければならない。 
考えてもみてほしい。 ストップロスの目的は自分の資金を守ることであり、大惨事を避けることなのである。
さらに重要なのはストップロスがトレーダーに強いる行為である。 執行されたストップロスは株式を「現金化すること」を強要するのである。 
下落相場が最終的に底を入れて反転に転じ、収益機会が激増した時には現金が必要なのだ。 
大底を入れた時点で、現金を最も保有している者が勝つのである。 換言すれば、マーケットが急落している局面では現金を保有することが最適な選択である。 
そして、下落の過程でストップロスが執行されることは、次の収益機会への備えを意味するのである。これは決して悲しむべき筋合いのものではなく、逆に、喜ぶべきことである。 
ファンドマネジャーにはストップロスを実行するという贅沢はない。 買い増して祈るというアプローチを、彼らも決して好きで行っているわけではない。 
ストップロスは恩恵なのであり、特権なのである。 確かに、それは完全なものではないが、我々の有する最良の防衛策なのだ。 
その効果を十分に認識し、何よりも実践してほしい。 それは個人トレーダーのみが実践することのできる数少ない手段の1つなのである。



DT08-02 ➡ 第2の教訓 一一 時間の分散がマーケット・リスクを最小化する

我々が頻繁に受ける質問に、「貴社が日々の情報誌で推奨する銘柄をすべて買うべきか?」というものがある。 答えは、声高に「ノー」である。 
理由を説明しよう。 まず、たいていの個人にはすべての銘柄を買うだけの資金的な余裕がないはずである。 
次に、より重要なことであるが、すべての推奨銘柄を1度に買うことで「時間の犠牲者」になる可能性が高まる。 
つまり、全資金を投入して推奨銘柄をすべて1度に買うことは、その日のパフォーマンスに完全に依存してしまうことになる。 
仮に、1日か2日後に、絶好の収益機会が訪れたらどうだろうか。 その時に投入すべき資金はどこにあるのだろうか。 資金はすべて、例えば月曜日に使い果たしてしまっている。 
さらに悪いことに、もし我々の推奨銘柄をすべて買ったその日に推奨銘柄が「腰砕け」になってしまったらどうするのだろうか。 
我々は社内のスウィング・トレーダーには買いを1週間から2週間に分散することを勧めている。 
例えば、成長過程にあるトレーダーが3万ドルの資金を有しているとしよう。この場合、週に2回、保有資金の1/4ずつ、つまり7500ドルずつを投資するのである。 
2週間が終わった段階で3万ドルはすべて株式の購入に充てられている。 
この戦略の妙味は、スウィングトレードをしているならば、最後の7500ドルを投資した時点で、最初の投資あるいは2番めの投資までを売却している可能性が高いということである。 
この方法は、時折生じる「重要な」収益機会に対して、資金手当てができていることを保証する。 
成長途上のトレーダーにとって、1週間に2度の取引は決して少な過ぎるものではない。 
個々の取引は2つの主要な行動、つまり買いと売りから成り立っているということを決して忘れてはならない。 
実際問題として、1週間に4回の取引を行う者は、投資判断を8回行わなければならないのである。 
その8回の投資判断は15回の投資判断よりは、少なくとも質の高いものであることは間違いないであろう。この考え方を実践してみてほしい。 かなり気に入るはずである。



DT08-03 ➡ 第3の教訓 一一 買うこととポジションを積み増すことは違う

大底をつけようとしている銘柄について、既に明確なトレンドを形成している銘柄とは異なる扱いが必要である。 
トレーダーはトレンドに乗って上昇している銘柄を買うべきであり、投資家は大底を形成しようとしている銘柄についてポジションを積み増していくべきであるというのが我々の信念である。 
そこには大きな違いが存在する。 
買いは特定の価格での1回限りの行動であるのに対し、ポジションの積み増しは複数の時間軸と複数の価格での複数の買いを意味する。 
ポジションを積み増す場合は時間の分散と価格の分散という2種類の分散が可能である。 
それ以外の分散としては、銘柄分散が可能であるが、これは自分の賭けを複数の銘柄に分散することを要する。 
我々は銘柄分散を強く主張するものではないが、3種類の分散を適用することが有効である場合もある。 
特に、中期から長期の時間軸での投資機会を探っている際には有効であろう。



DT08-04 ➡ 第4の教訓 一一 マーケットの全体にとらわれてはいけない

あまりにも多くのトレーダーがマーケット全体とその方向性に力点を置き過ぎている。 この傾向は金融情勢をマクロ的な視点で報道しなければならないメディアの影響によるところが大きい。 
マーケットの全体的な情勢と方向性自体には意味があるが、方向性にとらわれて、適切なトレーディング手法と適切な資金管理を犠牲にしてはならない。 
これが、我々が情報誌の購読者や生徒たちに個別の取引の秘訣を提供することに注力している理由である。 
マーケット全体が「どうなるか」よりも、個別の取引のほうが数段重要であるというのが我々の考え方である。 
もちろん、マーケット全体の方向性が全く重要ではないということではない。 
実際、マーケット全体に関する適切な評価ができていることが、安定的に勝てるか、たまにしか勝てないかの差となる場合もある。 
しかしながら、トレーダーの時間軸が短ければ短いほど、マクロの、あるいはマーケット全体に関する分析の重要度は小さくなる。 
上にせよ下にせよ、短期の価格の動きはいかなるマーケット環境においても生じるものだからである。 
さらに重要なポイントとして、マーケット全体の方向性がトレーダーの最終的な判断尺度であってはならないという点が指摘できる。 
自分の保有しているポジションを手仕舞う際に、特定の株価指数の動向がどうであるかということを判断基準としてはならない。 
最終的な判断基準はストップロスであり、あらかじめ設定しておいた目標株価なのであり、マーケット全体ではないのである。 
言葉を換えてみよう。 仮に、ダウ平均が200ポイント下落し、自分が買った銘柄のストップロスの売りが執行されたとしよう。 
熟練したトレーダーはそこで売りである。 反対に、ダウ平均が200ポイント上昇したにもかかわらず、自分が買った銘柄が下落し、ストップロスの売りが執行されたとしよう。 
熟練したトレーダーはここでも売りである。 ここでマーケット全体に関する分析の入りこむ余地はどこにもない。 
ストップ・ロスが最終的な判断尺度である限りにおいて、マーケット全般に関する分析は無用なのである。 
マーケット全体の方向性はポジションをとる際には意味があるが、既にポジションを持っている場合には当初の売却戦略をまず優先させなければならない。 
この、かたくななアプローチは極めて厳格な規律を要するものであるが、それを遵守すれば、損失を抑えながら利益を上げることができる。



DT08-05 ➡ 第5の教訓 一一 犬を売り、人形を買う

多くの人々は高い専門性を発揮しながら仕事をしているが、ことトレーディングあるいは投資に関しては、これを健全に行うことができずに悲惨な結果に終わることが多い。 
私は、小売業に従事する人物で、いかに売れ行きの悪い商品でも目にもとまらぬ早さで売りきってしまう人を知っている。 
売れ行きの悪い商品一彼が言うところの「犬」は、大幅に値引きされるのである。 
彼は、犬を売ってしまった後(通常は、仕入れの金額とは比べものにならないほどの微々たる金額で売るのである)に即刻その資金を売れ筋の商品に投入するのである。 
売れない物(敗者、犬)を早急に処分し、売れ筋(勝者、人形)を仕入れるという、単純ではあるが強力な発想によって彼は億万長者になった。 
彼は、小売業にあっては利益を上げることのできない「犬」を早急に処分してしまうのである。 
しかし、この優れた企業家に対して、パフォーマンスの冴えないマーケットにおける「犬」銘柄を売れと助言すれば、
必ず、「でも、今は絶好の買い場だ」とか「もっと買わなければならない」といった熱のこもった反論が返ってくるのである。 
こと投資に関しては、利益が上がっている銘柄から小幅な利益を確実に上げる一方で、主義に反してさらに「犬」を買おうとするのだ。 
この行動は合理的といえるだろうか。 彼にとってはどうもそうらしいが、私は何とか彼を説得しようとしている。 
我々の現時点の懸念は読者である。 
読者が保有資金を既にパフォーマンスの悪い銘柄に投入しており、新しい機会をつかむことが困難であると感じているのならば、ガレージセールを実施することを検討してはどうだろうか。 
自分の資金を最も売れ筋の商品に投入する決意をしてほしい。 犬は他の人に任せておこうではないか。



DT08-06 ➡ 第6の教訓 一一 マーケットの下落局面で実力がわかる

マーケット環境がよくない時でも利益を上げることが、そのトレーダーをその他大勢から際立つ存在にするのである。 
ほとんどのマーケット参加者は上昇相場においてしか利益を上げることができず、マーケットの環境が悪化した時に十分に対処できるだけの能力を持ち合わせていない。 
これを私は「上昇相場向きの溶けた脳みそ」と呼んでいる。 
全銘柄の9割が上昇している時に利益を上げることに才能は要らないということを認識してほしい。 
トレーダーの真の才能が明らかになるのはマーケットが下落している時である。 その時には、機敏さ、的を射る正確性、平均以上の銘柄選択能力が必要となる。 
証券会社やファイナンシャルアドバイザー、投資信託のファンド・マネジャー、情報誌の本当の実力を知るためには、
地球上のほぼすべての人々が損失を被っている時に彼らがどのような行動をとっているかに注目する必要がある。 
そういった環境下でも我々は光輝く能力を示してきた。 「お代を払って「いる」アドバイザーに対しても同様のサービスを求めるべきである。 
もちろん、彼らは「お代を受け取った」事実は忘れてしまうのであろうが。



DT08-07 ➡ 第7の教訓 一一 情報誌やアドバイザーを採点せよ

我々が毎日発行している情報誌「プリスティーン・デイトレーダー」で推奨している銘柄が驚異的な週間パフォーマンスを示す時がある。 
そのような時には、週間のパフォーマンスレビューで次のようなコメントを記すことがある。 
「推奨した20銘柄のうち、15銘柄が2ドル以上の値上がりを示し、短期トレーダーにとっては十分な利益を上げる機会を提供できた」。 
実際のパフォーマンスはトレーダーによってまちまちであろうが、そのようなコメントを出すことができた週には購読者から感謝の電子メールや手紙が山のように届く。 
しかし、このようなかたちで、我々の情報誌(あるいは他のどのような情報誌も)の総合的な価値を判断することが適切だろうか。 
答えは「ノー」である。 間違いなくノーである。 あまりにも多くのマーケット参加者がこのようなかたちで判断しているのである。 
確かに、先に示したようなコメントは正しいのであるが、情報提供サービスの質を正しく判断するためには「負けた銘柄」に注目する必要がある。 
重要な質問は「いわゆるエキスパートが、どのように負けたのか」というものであり、「彼らの損失は利益に比して安定的に小さいか。 
そうでなければ、彼らのアドバイスに従った結果、致命的な損失を被るのではないか」というものである。 これが情報誌やアドバイザー、投資信託などの有効性を正しく評価する方法である。 
重要なのは、彼らの負け方であって勝ち方ではないのだ。 最高の環境では、ほとんどすべての者が利益を上げることができるのである。 
しか真のプロのみが、マーケットの環境が悪い時でも安定的に損失を利益に比して少額にとどめることができるのである。 
秀でたトレーダーになりたければ、プロの負け方を学ばなければならない。 利益は自然とついてくるものである。 プロの損失は常に少額であるということを忘れてはならない。



DT08-08 ➡ 第8の教訓 一一 時は金なり

最近の研究では、子供が価値のあるインプットに対して最も受容力が高いといわれる就寝直前の時間に、親は60秒間しか一緒にいないということである。 
これは残念であるばかりか、犯罪とでも言うべきである。 私からすれば、子供だけでなく、親も被害者であると言える。 
子供と共に過ごす時間の重要性を頭で理解することは容易であるが、人生において時にはそれを実行することが困難な場合もある。 
しかし、困難であることは言い訳にはならない。 少なくとも、私の子供たちに関してはそうである。 極めて重要なことだ。 子供を思う気持ちのある親ならば、誰でも同意するだろう。 
ここで、トレーディングに目を向けてみよう。 ここで質問をしたい。 「よりよいトレーダーになるために、毎日、どれだけの時間を割いているだろうか」。 
子供の受容力は1日の終わりに最も高まるのであり、トレーダーの受容力はマーケットが引けた後に最も高まるのである。 大引の後に意味のある時間を過ごしているだろうか。 
考えをまとめたり、1日の行動を振り返ったり、取引の分析をしたり、明日の準備をしたり、そしてトレーディング日誌をつけたりしているだろうか。 
あるいは4時1分に、オフィスから、家から、机から逃れるように飛び出すのだろうか。 
成功したいと願っているトレーダーの多くは、成功するためにはハードワークが必要であることを認識していない。 
成功への過程は時間をかけてゆっくり進展していくものなのである。 
1日の終わりにその日の行動を振り返ることが精神を豊かにし、利益を上げることにつながると認識している者はほとんどいない。 
明日のために使う時間が60秒以下であれば、頻繁に犯す失敗で資金は食いつぶされていく。 勝者になりたいのであれば、毎日、改善の種を植える時間を作らなければならない。 
「時は金なり」である。 将来のために、ほんの少しでも時間を費やしてほしい。



DT08-09 ➡ 第9の教訓 一一 勝者は自らことを成し遂げ、敗者は流されるまま

人生での成功は自ら創造するものであり、どこかで見つけるものではないというのが私の信念であった。 トレーディングにおいても同じことである。 
トレーディングで成功している者は、苦しみながら、飽くなき努力を重ねて自ら成功を創造するのである。 
多くの人々にとっての問題は、本当にそれを成し遂げようと取り組まずとも、成功が自然に生じるものであると考えていることである。 
どういうわけか彼らは、勝利がそれを勝ちとろうとする長い過程の結果であると認識できないのである。 
端的に言えば、「勝者は自らことを成し遂げ、敗者は流されるまま」ということである。 
9時30分から4時までマーケットに向かって1日を過ごす、向上心のあるトレーダーの例を考えてみよう。 
彼らは、我々のオフィスのように誰かと共にトレーディングをするかもしれないし、家に1人でいるかもしれない。 
この時間帯には、彼らは集中し、常に取引機会を探りながら、いくつかのポジションをつくってみたり他のポジションを閉じてみたりするのであるが、
4時を数秒とは言わずとも、数分回ってしまえば、すべてを忘れてしまう。 何ということだろうか。 
残念なことに、これらのトレーダー予備軍はトレーディングでの成功は9時30分から4時までの間に生じると考えているようだ。 
翌朝までの時間を彼らは無為に過ごすのである。 そうしておきながら、9時29分にトレーディング・デスクに座った瞬間に利益が湧き出てくることを期待するのである。 
人生での成功はそんなふうにしてもたらされるものではない。 
トレーディングにおいて成功するためには、引け後、翌朝の寄り付きまでの時間に勉強し、検証し、練習し、調査し、詳細に吟味し、思案し、熟考し、書き記し、暗記し、分類し、
時間を有効に使わなければならない。 
心の底から成功を望むのであれば、夜と早朝の静けさの中で、世界やマーケットがまだ休んでいる時に準備を進めなければならない。 
そうすれば、9時30分になった時点で成長の車輪が動き出す準備ができているのである。 
多くのトレーダーは錯覚している。 彼らはマーケットが開いている時間に参加していることによって、自らがマーケットと共にあると思っているのである。 
その発想は間違っている。 マーケットとは不思議なものだ。 マーケットは取引時間帯外に質の高い時間を過ごしている者に報いるのである。 それが成功の秘訣であり、勝利の秘訣である。



DT08-10 ➡ 第10の教訓 「誓い」 の力を使う

最近、私は娘が入園する幼稚園の見学に行ってきた。 見学は素晴らしい経験であった。 自分が幼稚園に行っていた当時との変わりようは驚くべきものだった。 
些細なことを重大なことのようにする厳格な先生はもはや存在しない。 娘の幼稚園の先生たちは、もっとソフトだった。 
いたずらっ子に体罰を加えるために柔術を習っている先生は1人もおらず、優しそうで、知的で、指導意欲に富んでいた。 
書物はすべて新しく、アシスタントも含めて先生は皆、流暢に2ヵ国語以上を話せるのである。 すべてのことに心底驚嘆した。 
スポンジのようにソフトな先生たちを見て、私は即座に納得してしまったのである。
しかし、私が最も驚いたことは、昨今の指導方法が、単純ではあるが素晴らしく効率的であるということだった。 あるクラスを通りかかった時、たまたま壁に目が行った。 
子供たちの誓いを書いた紙が壁中に貼られていたのである。 
ジミーは「僕はよいことにしか手を使いません」と誓い、メアリーは「私は丁寧な言葉を使います」と誓い、ベッツィーは「私は物を借りる時、断ってから借ります」と誓っていた。 
私は、特に、ジョウィーの「私は余計なことは言いません」という誓いが気に入った。 誓いは山ほどあった。 
しかし、この正しい行動を指導するための単純な方法は、父としてだけでなく、トレーダーとしての私の心も強く打ったのである。 
トレーディングで成功するためには、結局のところ、正しい行動をとらなければならないからだ。 
そしてトレーダーの教育者として、私は生徒たちに正しい行動をとらせるような方法を見いださなければならないのである。 
トレーディングに関する行動について、心の底から誓いを立てている者がいるだろうか。 
「3/8ポイント以上は高値追いをしないことを誓います」とか、「あらかじめ定めたストップロスに必ず従うことを誓います」とか、
「寄り付き前に買い注文を入れないことを誓います」といった誓いを実際に紙に書き出している者はいるだろうか。 
次のような誓いはどうだろうか。 「利益を追う前に、必ずリスクを考えることを誓います」。 
あるいは、「自分の取引について全責任を負うことを誓います」、「損失を被った取引から得た教訓を必ず書き記しておくことを誓います」、
「自分のトレーダーとしての最大の欠点について、常に注意を払うことを誓います」といったものも忘れてはならない。 
不思議なことに、書き記した誓いには力がある。 誓いを破った時には、不思議と、罪を犯したことに気づくようである。 誓いには効果があるのだ。 
今日、誓いを立ててみてほしい。 誓いを紙に書き記し、毎日それを見るのである。 それは、正しいことを知っているだけでは不十分だからである。 
正しいとわかっていることを実行するためには、「血の誓い」をしなければならない時もあるのだ。 知っていることと、それを実践することは、往々にして全く異なるものなのである。