DT04-01 ➡ 真似るべき勝者を見つけ、そして超えること

真剣にトレーディングで生計を立てようとしているならば、まず取り組むべきは、真似るべき「勝者」を見つけることだ。 
ここで勝者とは、毎日あるいはほぼ毎日トレーディングを行い、安定的に利益を上げることができる真の勝者を意味している。
かた
勝者を騙る者は数多くいるが、真の勝者は数少ない。 実際に勝っている者よりも、常に、勝ったと言う者のほうが多い。 従って、勝者を見つけることは容易ではない。 
ましてや、よき指導者になろうとする者を見つけることは極めて難しい。 しかし、これがいかに難しい作業であっても、勝者を見つけるまで諦めてはいけない。 
なぜ、勝者を見つけなければならないのか。 デイトレーディングという困難な作業において、すべきこと、あるいは、してはならないことを学ぶのに、それよりも手っ取り早い方法はないからである。 
また、時間とお金を無駄に使わないで済むという点で、個人指導者に勝るものはないのである。
我々は、この「よき指導者を見つける」というアプローチを非常に重視しており、わが社で新規に雇うトレーダーには、既に利益を上げている先輩トレーダーとコンビを組ませることを常としている。 
指導者のいない初心者と比べて、未知の険しい道を乗り越えてきた勝者とコンビを組んだ新人トレーダーは、試行錯誤により損失を被る時期を劇的に短縮できるのである。 
自分たちが見たこともない悪魔を乗り越えた先輩トレーダーと組むことによって、新人トレーダーたちは、恐れず迷わずに独り立ちし、独立した精神を持つに至るまでの期間を大幅に短縮できるのである。 
このように教育期間を短縮することで、生き残る確率は高まる。 トレーディングにおける熟練の域に達するための道筋が平坦になるからである。 
そう、指導者のいない初心者が往々にして試行錯誤の時期を乗り越えることができないことは、悲しい事実なのである。 
しかし、前述した通り、勝者を見つけることは容易ではない。 初心者を自らの庇護の下に置こうとする勝者を見つけることはさらに難しい。 
だから、そういった勝者を見つけることができれば、決して手を離さず、一生ついていくべきである。 彼らの指導を受けるためには、ありとあらゆる手段を講ずるべきである。 
彼らの頭脳を吸収することを目的とするのである。 しかし、そのためには何でもしなければならない。 
弁当を持っていったり、子供たちにお土産を持っていくなど、トレーディングで得た利益を使うことをためらってはならない。 
必要とあらば、3ヵ月から6ヵ月の隷属期間は覚悟しなければならない。 自分が選んだ指導者が真の勝者であるならば、払うべきコストが高過ぎるということはない。 
この勝者が最初の罠に満ちた行程を指導することを了解したならば、その勝者を真似ることが仕事となる。 そして、彼らを超えるのである。 
何の生徒でも一緒であるが、指導者に伍することを試みてはならない。 それでは単に真似だけに終わってしまう。 目標は指導者を超えることである。この重要なポイントを強調したい。 
真の指導者は生徒に自らを超えさせるというただ1つの目的をもって、彼らの知識を分け与えるのである。そういう資質のある人はまれではあるが、必ず存在する。 
可能な限りの労力を払って捜し求めてほしい。 真の勝者を見つけることができる保証はないが、見つけることができたならば、その瞬間を新しい人生の始まりだと思ってほしい。 
熟練したトレーダーとしての人生である。

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DT04-02 ➡ 指導者の人間性が問題である

「指導者が情報を持っている限り、指導者の性格は問題とはならない」というのが多くの西洋人にとっての共通認識である。 
しかし、これは大きな間違いである。 情報に生きた命を与えるのは指導者の性格であり人間性なのである。 それが知識に命を息吹かせるのである。 
深い情熱と経験と真の学習を喚起するのは指導者であり、指導者の資質なのである。 
トレーダーを指導する立場から、私は教育には知識を撒き散らすこと以上のものが必要であるとの認識に至った。 
事実は、それ自体では決して心に訴えかけるものではない。 知恵を分け与えるためには特殊な才能が必要なのであり、他人の意識を高めるためには特別な手段が必要なのである。 
教師を素晴らしい指導者とする手段は学んで身につくものではない。 
情熱や意気込み、誠実さ、エネルギー、良心、気配り、関心、そして繊細さといったものは、その辺の話し方教室に参加したり、お金で手に入れたりすることができるものではない。 
長年にわたって培われた値段のつけようのない資質なのである。 そういった資質を指導者に見いだすことができれば、それは、注意を払う価値のある心を見つけたということなのである。 
トレーディングを専門とする教師を捜しているならば、適切な情報を有していると同時に、適切な性格を有している者を捜さなければならない。 
東洋では、教師と生徒の関係は神聖であると認知されているようだ。 教師と生徒の関係が十分な注意を払うべきものであることがわかっているのだ。 
トレーディングに関しても、このような意識をもって臨んでほしい。 
捜し求める指導者に学んだことのある者から話を聞くことも大切であろう。 
こういったことが重要でないと感じる者もいるであろう。しかし、求める知識は、選んだ教師というフィルターを通るものであることを意識してほしい。 
多くの観点から、自らの将来をその1人の人間に託しているといえる。 これを軽んじてはならない。 
間違った指導者を信用すれば、何の見返りもない険しいだけの道を歩まされることになるかもしれない。 
指導者の資質は、その指導者の教育の質を決めるものである。 これを忘れてはならない。

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DT04-03 ➡ 自分の将来への投資をケチってはならない

トレーダーの教育に関しては、ケチることだけは避けなければならない。 支払った対価に値するものだけを手に入れることができる、という事実は、トレーディングに関しても当てはまる。 
今日では、誰もがトレーディングの十分な教育を受けていると主張する。 しかし、彼らは決して真のトレーダーではないし、真の指導者でもない。 
偽トレーダーや似て非なる指導者であることを端的に示すのは、彼らの値段の安さである。 
一流のトレーディング教育と称するものが異常に安い値段で提供されたならば、そこに真の教育を期待できるものではない。 
信用できないトレーディングスクールに関する経験則は、「価値がない時には価格で勝負する」ということのようである。 
しっかりとしたトレーディング会社が何か確固たる価値のあるものを提供する時には、その価値は歴然としている。 
中古車ディーラーのような客寄せのための安っぽいピエロは必要ないのである。 考えてもみてほしい。 フェラーリがフォードのような値段で売られているだろうか。 
もちろん、そのようなことはないし、仮に、そのようなことがあったなら、注意しなければならない。 トレーディング教育についても同じことが言える。 
価格が価値の唯一の尺度であるというつもりはないが、非常に厳しい尺度の1つではある。
最高の指導者は決して安くはない。 それに関しては自信がある。 自らの価値を知っている才能のある教育者は、安値でその価値を貶めるようなことはしない。 
彼ら自身が成功の対価を払っているならば、彼らの成果を破格の安値で提供する可能性は皆無に近いだろう。 
成功したトレーダーが苦労して勝ち得た果実を安値で分け与えなければならない理由はどこにもない。 
プロのマーケット参加者になるために投資した時間を、端金で与える必要はどこにもない。 
もし、そのようなことが現実にあるというのならば、そこには分け与えるべき果実も存在しないのである。 
提供すべきものがある者は、その知識がいかに貴重なものであるかを知っている。 彼らは自らの持てるものが、それを実践する者の人生を完全に変えてしまう可能性を知っている。 
成功した彼らにとって、あえて他人を教育する必要はないし、成功に至るまでの戦いの厳しさに敬意を表さない生徒などいないほうがましなのである。
教師を捜すに際しては、以下の質問に対して教師が完璧に答えられることを確認するようにしてほしい。
1)指導者は、毎日、取引を行っているかこの質問に対する答えが「ノー」である場合は、そのまま電話を切るか、部屋を出ることである。この質問に関して言い訳は認められない。 
「仮に、しかし」は禁句である。 飛べない教官から飛行訓練を受ける気になるだろうか。 
仮に、トレーディング会社が毎日、上手に取引を行う真の指導者を提供することができないのなら、おそらく、そこにはそういう人が1人もいないのである。 
答えが「イエス」ならば、指導者が利益を上げているトレーダーかどうかを確認してほしい。 
自らの投資資金を使い果たし、疲れて燃え尽きたトレーダーが「いかに損を重ねるか」を教えている事例が極めて多いのは驚くほどである。 
飛ぶたびに墜落している教官から飛行訓練を受ける気になるだろうか。 これ以上、何も言うことはない。
2)授業料が異常に安くはないかいわゆる最高のトレーディング講座があり得ないほど安い値段ならば、それはおそらくあり得ないのである。 
なぜ、彼らが「値段のつけようのない貴重な」知識を安く提供しているのかを確認することである。 
仮に、「我々は人々を騙したくないのです」とか、「収益はトレーディングで稼いでいるので安いのです」といった答えが返ってきたならば、一目散に走って逃げ出すことである。 
単に立ち去れと言っていないことに留意してほしい。 走って逃げることが肝腎である。 これはペテンを隠そうとする下手な言い訳である。 
ハーバード大学の教育を受けるためにはハーバード大学の授業料を払わなければならないということである。 
中古車ディーラーがいかに金持ちでも、博愛主義者であっても、フェラーリをフォードの値段で売ってくれることはあり得ないということを忘れないでほしい。 
人道主義者の中古車ディーラーならば、ユナイテッド・ウェイ(米国の有名な共同募金団体)の慈善基金に寄付するのであって、フェラーリをフォードの値段で売ってくれることを期待してはならない。 
もし、そのようなことがあったならば、警戒しなければならない。 フォードの値段のフェラーリが動くはずがない。
3)トレーディングの講座が終了した後、指導者自身が取引するところを見ることができるかもし、教官が取引の現場を見せたがらないようであれば、彼らのトレーディング講座は参加に値しないのではないか。 
見せることができる者には、見せられるだけの能力があるということである。 能力がない者も教鞭をとることはできる。 
しかし、取引ができて教えることもできる者は、取引の現場を見られることを厭わないはずである。 
教官がそれを嫌がったり、言い訳を並べるようであれば、リストから外すべきである。
4)授業では、真のトレーディング手法を教えているか、あるいは特定のトレーディング用ソフトの使い方を教えるのが目的かトレーディング用ソフトの使い方を学ぶことは重要ではあるが、
普遍的なトレーディング手法や技術を教えることとソフトの使い方を教えることを混同してはならない。 
真のトレーディング教育はソフトがどのようなものであっても適用できる。 このような教育にこそ価値があるのである。 
特定のソフトに固有の知識の指導は、その特定のソフトを使うつもりならば意味があるが、教育としての価値は極めて低い。 
将来、違うソフトを使うことになったらどうするのか。 お金を払って受けた授業は無駄になってしまうのか。 我々がトレーディングの教育という場合には、ソフトの使い方の訓練を意味しない。 
それはトレーディングを生業とする会社が顧客に無料で提供するサービスである。 
我々が教育という場合には、トレーダーが電話を使おうと、極めてスピードの速いNASDAQのレベルIIトレーディング・システムを使おうと利益を上げることができるような、時間とともに風化することのない知識を意味する。 
取引に利用する手段は重要ではあるが、真の問題ではない。 教育を受けていないトレーダーが驚異的な速さのトレーディング・システムを使ったところで破滅への道を突っ走るだけである。 
迅速な取引の執行は、自分が何をやっているかがわかっていてこそ価値があるのである。 さもなければ、苦痛に満ちた死を早めるだけである。
5)知識の炎が消えないように、教官と連絡を取り続けることができるかこれは極めて重要なポイントである。 
なぜか。 講座を受講した時とその後のギャップが広がり続けるならば、それは受講直後の自信喪失が主因だからである。 
講座終了後にフォローアップの機会を無料で、あるいは少額(既に、授業料を払っていることを忘れないでほしい)で提供するような会社は責任感があるといえるし、生徒の進歩を純粋に気に留めているといえる。 
これらは一所懸命稼いだお金を授業料に注ぎこむ前に確認しなければならない質問である。 これらがすべてではないが、少なくとも最初の一歩を正しく踏み出す助けにはなるであろう。

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DT04-04 ➡ 今日、取引ができ、教えることができる者

自ら実践できる者は教えることが下手であるという諺はもはや適切ではない。 かつては、トレーディングの世界でも、この諺にも少なからず真実が含まれていた時代もあった。
そして、おそらく今日でも、限られたケースでは一定の信頼が置ける話であることもある。 しかし、昔に比べて、才能のあるトレーダーが、疲れる作業ではあるが見返りも大きい教職につくことが多くなっている。 
私は、有能な指導者の多くが我が社の卒業生であることに誇りを持っている。私はマーケットで生計を立てるための方法を教えて5年になる。 
私が1日から3日間のトレーディング講座で頻繁に受ける質問は「なぜ、あなたは教えるのか?」というものである。 
「そんなに優れているのならば、なぜ、教えることによって時間を無駄にするのか?」という質問もある。 これらは私の個人的な信念に触れずに答えることは難しい。
過去5年間、講座の準備をしなければならないという半ば強制的な環境においてトレーディング手法や技術に関して自分自身が学ぶことが多いということに私は気づいた。 
そして、長いこと教えない期間があると、複雑に入り組んだ手法や技法の細部が私の骨から抜け出ていくような感じがするのである。 
その結果として、講座の内容が毎回少しずつ変化していくことは認めざるを得ないが、それは望ましい方向への変化である。 教えるたびに、どういうわけか私の心は大きく、寛容になっていく。 
教えるたびに、私は見聞を広め、知識が豊富になり、力強くなり、そしてトレーダーとして熟練するのである。 こうした経験を経て、知識を共有することによって知識が深まるのではないかと信じるようになった。 
どういう仕組みだかわからないが、誰かに教えるたびに、自分の中にさらなる知恵を受け入れるスペースができるのである。 
過去数年間を振り返ってみて、私のトレーディングに対する情熱がトレーダーに対する共感に転化したことを喜ばしく思う。 
5年にわたって教えてきたことによって、私自身のトレーダーとしての成長のスピードは飛躍的に速まった。 今日では、教えることによって自分自身が完成する。 
私がトレーダーとして成長する一方で、教えることによって、私の体内にアドレナリンが駆け巡り、力がみなぎってくる。 なぜ、そのようになるのかはわからないが、事実だ。 
何が言いたいのか、伝えたいメッセージは何なのか、と読者は聞きたくなるであろう。ここで言いたいことは、同じことを試みてほしいということである。 他人がより賢いトレーダーになる手助けをしてみてほしいということである。 
他人が自分のレベルに達し、あるいは自分を超えていく手助けをすることによって、自らのトレーダーとしての成長が速まるのを確認してほしい。 
自らを何らかのかたちで助けることなく、他人を助けることは不可能であることがすぐにわかるであろう。
かつて、非常に賢い男が、どうしようもなくほしいものがあるならば、そのほしいものを与えなければならないと私に言ったことがある。 愛がほしいならば、よりいっそうの愛を与えるのである。 
知識がほしいならば、知識を与えるのである。 お金も同様である。 
ほしいものがほしいだけ手に入るかどうかはわからないが、少しでもよいから自分の持っているものを与えることによって、ほしいものを受け入れるスペースができるというのである。 
プロになって以来、教えることに注力してきた私には、彼が正しいということがはっきりとわかる。 知識のレベルにかかわらず、教えることである。 与えなくてはならない。 
家の屋根の上から隣近所に向かって叫ぶのである。 そうして、何が起こるかを観察するのである。 私の質問はこれだけである。 「飛ぶ準備はできているか?」

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