DT03-01 ➡ 逆境という力

13年前、20歳の時に、私は初めて株の取引をした。 その取引では損失を被ったが、私は喜びを感じ、端的に言えば人生の目的を感じたのである。 
興奮し、苦痛さえも 「快楽」 だった。 最初は、トレーディングというゲームでは完全な敗北を喫したわけであるが、私は決して怖気づくことはなかった。 
なぜだろうか。 それは、怖気づく自分を許せなかったからである。 私はマーケットを征服すると決意し、マーケットの不思議な機能を学ぶと決意した。 
しかし、その授業料は極めて高かった。 顕著な進歩をみせ始めるまでに6年の歳月を要したのである。 もちろん、くじけそうになったこともあった。 
しかし、打ちひしがれたことはなかった。 落ちるところまで落ちて、そこからは落ちようがないところまで落ちたこともあった。 
そして、ある時、トレーディングのリズムをつかめるようになり、輝かしいトワイライト・ゾーンに入っていったのである。 
2年後には、安定的にマーケットから利益を上げるようになっていた。 
私はマーケットで認識され得る力を持つようになり、もはや被害者ではなくなった。 今日では、 「成功の原因は何ですか」と聞かれることがよくある。 
私の答えはいつも同じである。 「私が今日成功しているのは、昨日致命的な失敗をしたからです」。 
つまるところ、負けた取引が、取引手法、技術、そして勝つための戦略を身につける動機となったのである。 
勝った時は近くのバーで友人に自慢をしていたものである。 非生産的な行動極まりない。 しかし、負けた時には戦術を再検討したものである。 
もちろん、これは非常に生産的な行動である。 ここまで述べてきたことは、これから述べることの前置きである。 
それは、逆境一損失はマーケットから得られる最高のお土産だということだ。 損失を被ることはチャンスである。 
間違えるたびに、失敗するたびに、ミスを消し去り、悪魔を退治する絶好のチャンスにめぐりあっているのである。 今から 「敗者の日記」 をつけることをお勧めする。 
負けた取引について、証券コード、日付、購入価格、売却価格、購入の理由、そして売却の理由を記入するのである。 
5 ~ 6回負けた取引が記入されたら、それらを見直し、詳細に検討するのである。 負けた取引に共通する要因を探すのである。 
必ず共通の要因が存在するはずである。 その要因を見つけることができたならば、確実にそれを撲滅しなければならない。 
この作業を十分に行ってほしい。 そうすれば、問題は負けによる金額的な損失ではなく、もっと学ぶためには負けの回数が足りないということになってくる。

POINT

私は13年間トレーディングを続けてきた。 しかし、負け続けた時期の苦しみとフラストレーションの価値がわかるようになったのは最近のことである。 
かつて、私は人生を賭けて戦っているように感じていた。 今思い起こせば、負け続けた時期が私の人生を確固たるものにする助けとなっている。 
負けたことによって私は寝食を惜しんで勉強し、負けた理由を検証し、思考過程と手法を修正したのである。 
負けたことによって機能していないものを捨て、機能しているものを強化することができた。 
今になって分かることではあるが、負けがこんでいた時期が現在の成功の基礎となったと自信をもっていえる。 
負けることは悪ではないという認識をすべての意識のあるトレーダーが持ってくれることを私は望む。 
自分の失敗から学ぶことができないならば、それこそが悪となるのである。



DT03-02 ➡ 損失を利用する方法

トレーディングに熟達するための道のりは危険に満ちあふれたものである。 
危険、損失、試練、苦難は、トレーディングで身を立てようとする者の背骨を打ち砕き、精神に穴を穿つ。 
技術を完璧に身につけ、信じられないほどの機敏さでマーケットを制する者について、たまたま天賦の才能があったとか、先天的な勘があるのだと思いがちである。 
しかし、それは真実からはほど遠い。 苦痛。 損失。 フラストレーション。 混乱。 不安。 支離滅裂。 
こういった事柄が、大いなる高みに達するために必要不可欠な教師となるのである。 
今日、ある程度成功しているトレーダーは、過去に敗者の苦しみと痛みを味わっていることは間違いない。 人は成功からは多くを学ばないものである。 
失敗のみが道を照らし、進むべき道を示してくれるのである。 我々は火に触ってはいけないことを知っている。 
幼い頃に、一度は火傷をしているからである。 トレーディングについても同様だ。 すべての負け方を知ったうえで、勝ち方を知るのである。 
これはトーマス・エジソンが電球を発明するに至ったやり方である。 ここで読者への質問は、マーケットにおいて失敗した時に何をするか、ということである。 
失敗は無駄になってしまうのか、あるいは、繰り返してはならない事例として活かされるのか。 
いったんかがまないと、前に大きく跳ぶことはできないということを忘れないでほしい。

POINT

精一杯のエネルギーと努力を払って損失や苦痛を避けようとすることはごく自然なことである。 
しかし、損失の甚大な効果について真剣に考えてみたことはあるだろうか。 頻繁に損失を被ることによって、初めて行動を変えることができるようになるのではないか。 
この意味で、苦痛や損失はメッセンジャーとしての価値があるのである。 法を犯せば、間違いなく我々は行動パターンを変えることを求められる。 
損失と苦痛を経て成長する理由はここにある。 居心地の悪さが行動を喚起し、立ち上がって何かをしなければと思わせるのである。 
敗北の苦しみを味わい、苦痛を感じないことには、成長することはできないのではなかろうか。 損失を尊重することを学んでほしい。 
不思議なことだが、それによって道が拓けるのである。



DT03-03 ➡ 少額の損失─熟練したトレーダーの証

マーケットで損失を被ることは決して心地よい体験ではない。 しかし、すべての知的なトレーダーは、損失がトレーディングにはつきものであることを認識している。 
希望に満ちた初心者トレーダーは永久に損失を根絶できるような完璧なアプローチを捜し求めて、貴重な資金ばかりでなく、持てるエネルギーをすべて注ぎこんでしまう。 
言うまでもなく、現実の世界には聖杯は存在しないのであり、彼らは自分自身をごまかしているだけなのである。 
実際、トレーダーの成否のほとんどはいかに損失を排除するかではなく、いかに損失をコントロールできるかにかかっている。 
より重要なことは、勝者は自らを律する不思議な方法を身につけているということだ。 
損失をコントロールすることだけに注目する熟練したトレーダーは常に成功する。 
一言で言えば、損失には芸術的な側面があり、高いレベルでの成功を望むならば、 それを完璧に習熟する必要があるのだ。 なぜだろうか。 
プロのトレーダーとしての成否は、その勝ち方にあるのではなく、いかに負けを 「管理可能な」 状態にできるかによって決まってくるからである。 
プロの負け方を学ぶことができれば、後の些事は自然と体をなしてくるものである。 
では、プロの負け方とは具体的にはどのようなものだろうか。 もちろん、それは損失を少額にとどめるということである。 
この概念を忘れないでほしい。 その根底にあるメッセージには想像を上回る価値がある。

POINT

勝つトレーダーと負けるトレーダーの差は、 1/8 と 1/4の差であるといわれてきた。 
我々はこれが真実であると信じているが、仮にこれが真実ならば、負けをコントロールすることが勝者と敗者の差になる。 
現実に向き合おう。 たまたま勝つことがあるのは珍しいことではない。 実際、上昇相場ではツキで勝つことは多いといえる。 
これは単純に、上昇相場の波がすべての銘柄を押し上げるからである。 勝つことが勝者を示す真の指標ではない。 
実際には、プロの指標は唯一つしか存在せず、それは少額の損失である。 
初心者がいかに幸運であっても、彼らの実態は損失の額をみれば明らかとなる。 初心者は負けを恒常的に少額にとどめることはできない。 
初心者は時には大勝ちすることもあろうが、負ける時には常に大負けなのである。 
他方、プロのトレーダーがいかに苦しんでいても、彼らの被る損失が非常に少額であれば、彼らが本物であることがわかる。 
それは高度な技術と厳格な規律を要するものであり、熟練したプロのトレーダー、つまりは勝者の証である。 
ここでのポイントは、しばらくの間は紛い物でも勝つことはできるが、見せかけやツキでは恒常的に損失を少額にとどめることはできないということである。 
勝者の証はいかに勝つかではなく、いかにうまく負けるかということにある。 
負けをコントロールすることができるようになれば、勝ちを求める必要もなくなる。 
勝利はひとりでについてくるのである。



DT03-04 ➡ どのようにマーケットは語りかけてくるか

マーケットは友になるべき存在である。 しかし、この友人は無言であり、我々と共通の言語を持ってはいない。 
この友人は椅子から立ち上がり、これまでの動きと異なる方向へ動くという意思表示を言葉で明確に行うことはできない。 
突然の暴落を予告することもできない。 マーケットができることは動きを通して我々に警告を発することだけである。 
友人としてマーケットは失敗というかたちで語りかけてくる。 
具体的には、最強の5社であるアメリカ・オンライン、シティグループ、ゼネラル・エレクトリック、ゼネラル・モーターズ、
マイクロソフトが相場を牽引することに失敗した時、あるいは2日から3日の連騰に失敗した時などである。 
また、クリスマスの時期などのように歴史的に相場が強含む時期に上昇することに失敗するといったこともマーケットが語りかけてくる言葉の1つである。 
マーケットはこのようにして語りかけ、警告を発するのである。 
マーケットは失敗の事例を通して語りかけてくる。 これは興味深いことではないだろうか。 
マーケットは、失敗という言語を通じて、そのゴスペル(福音)を広めようとしている。 
言うは易しであるが、そのメッセージを早い段階で聞くことができるだけの注意深さを持った熟練したマーケット参加者は生き残ることができる。 
少なくとも被害を最小限に食い止めることができる。 
マーケットが「こうあるべき」 という動きを見せなかった場合には、それを友人からのメッセージとして受け取って、ポジションを手仕舞うことである。

POINT

熟練したトレーダーは皆、マーケットの隠されたメッセージを判読することを習得してきた。 
彼らを注意深く観察すれば、彼らの鋭い眼光から逃れられるものはないことがわかるだろう。 
マーケットが発するメッセージは、それがいかなるものであれ、彼らにはその解釈の仕方がわかるようである。 
いったい、なぜ、彼らにはそれが可能なのだろうか。 その秘訣は彼らの失敗を知る能力にある。 
彼らが買った銘柄が思った通りの動きをせずに、突然、下落したとしよう。 彼らはそこで望まざる損失を実現する。 
彼らはそれを悔やんで叫んだりはしない。 逆に、「ありがとう」と言うのである。 なぜか。 マーケットが失敗を通じて警告を発していることを認識しているからである。 
信頼できるテクニカル指標が機能しなくなった時、彼らはテクニカル指標の有効性を疑うことはしない。 
むしろ、彼らはそれをマーケットの愛情のこもったウィンクとして受け止める。 それは、その後に続く、より悲惨な状況に対する警告なのである。 
今まで完璧に機能していたトレーディング戦略が突然うまくいかなくなったとしよう。 彼らはその戦略をうち捨ててしまうだろうか。 
否、彼らは、それをマーケットの静かなる囁きとして受け止めるのである。 マーケットの「ちょっと気が変わったことを伝えたくてね。 
メッセージは聞こえたよね」 という囁きである。 熟練の域に達しようという志のあるトレーダーはこれを学ばなければならない。 
失敗の意味するところを学ばなければならない。 
それはマーケットが我々に語りかける数少ない方法の1つなのである。



DT03-05 ➡ 成功するための負け方

私のトレーディング生活において最も貴重な教訓は、困難な問題に直面しても、我々が革新的な変化を成し遂げられるのなら、
困難は素晴らしいものになり得るということである。 問題の奥底に必要とする答えがある。 
次の例を考えてみてほしい。 我々が毎日推奨する銘柄が短期的には魅力的なリターンを上げているにもかかわらず、
その2ドルや3ドル、あるいは4ドル超のリターンでは勝ったと思えないという者に頻繁に出くわす。 
我々の推奨する4銘柄のうち3銘柄で利益が上がった場合、彼らは間違いなく1銘柄で損失を被っている。 
我々が推奨する銘柄をすべて買うことができず、いくつかの銘柄を選ばなければならないとしても、
確率的には勝つ可能性が高いという事実にもかかわらず、恒常的に負けることが普通であるならば、将来の熟練トレーダーにとって問題である。 
ここで、彼らの抱える問題自体に回答が潜んでいるということが救いとなるのだ。 
注意深く精査すれば、意識して、あるいは無意識に恐怖を抱いた結果、みすみす逃した利益には何らかの共通する特徴がある。 
例えば、 50 ドル以上の価格がついている銘柄を避けているかもしれない。 
あるいは、インターネット関連銘柄を避けていたり、買値と売値のスプレッドが広い銘柄を無視しているかもしれない。 
いずれにせよ、何らかの要因が勝てる銘柄を選択することを妨げているのであるから、その要因を究明する必要があろう。 
我々はすべての要因を明るみに出して、とことん考えなければならない。 
高寄りしている銘柄を避けており、その銘柄が上昇しているならば、答えは明白である。 
高寄りしている銘柄を買うのである。 
値嵩株が常によいリターンをあげており、それを恒常的に避けていたのならば、ここにも回答がある。 
勝てる要素はそこにある。 その値上がり益を享受できていないのであれば、損失覚悟で何を変えなければならないかを明らかにすべきである。 
損失を覚悟すれば、その損失は大きな声で語るのであり、後はその声を聞くだけである。

POINT

損失を被るたびに、我々の内面が少しずつ明らかになる。 
損失を被った事例を集めれば、自らに関して多くのことが明らかになるだろう。 
トレーダーは損失を完全に排除することはできないのであり (それは人生において常に経験することである)、
それぞれの損失の奥底に潜む宝石を見つめることによって、それらの損失を利用する方法を学ばねばならない。 
この宝石 (教訓) は、トレーダーが次に何をしなければならないか、あるいは何を変えなければならないか、価値あるメッセージを提供してくれる。 
混乱していればいるほど、答えは間違いなく損失の中に隠されている。 今後、損失を被った場合、必ずその中からダイヤモンドを見つけ出すことを決意してほしい。 
これを実行すれば、珠玉のトレーディング人生が送れるであろう。



DT03-06 ➡ 毎日を新しい気分で迎えること

しばしば、心理的に損失から立ち直ることができなくなっているといった話を聞く。 
マーケットでは頻繁に困難な状況に陥りがちであることを考えれば、何らかの助言や救いを求めて本書を読んでいる人が多くいることは容易に想像がつく。 
こうした読者に対して、私は、トレーダーの人生は日々、これ新たなのだと言いたい。 
達成することが難しい最高レベルの成功を手にすることが真の欲求であるならば、過去の失敗、より正確に言うならば失敗による失望を忘れる一方で、
その教訓だけを活用する能力を身につけなければならない。 
過去に犯した失敗から学んでいる限り、将来の失敗が1つずつ少なくなっているということを認識しなければならない。 
このように考えれば、損失は力になり得る。 損失は将来の成功の一側面にすぎないのである。 何回かの損失を被っただけで安易にあきらめてしまうトレーダーが多いことには驚く。 
しかし、少し考えれば、これは驚くには値しない。 
いかなる挑戦にせよ、偉大さはすべての障害を乗り越えるまで辛抱する能力にかかっているのである。 
「平均的な」 人々は、この決意が致命的に欠けており、だからこそ、優越性や偉大さといったものが世にまれなのである。
今日、我々が何年もマーケットをアウトパフォームできているのは、過去に失敗を重ねてきたからである。 
しかし、その失敗は、そこから学ぶことができたという意味で賢い失敗であった。 
今日、我々が正確にマーケットを見ることができるのは、何年も前に、失敗から学ぶことができる限り、失敗は恥ずかしいことではないと気づいたからである。 
損失には宝石、そう、成功を現実のものにする貴重な教訓が隠されている。 それを探し出すことができれば、結果的に、大きな報酬がもたらされるのである。

POINT

トレーダーが被る損失には限りがある。 これは失敗にも限りがあるということを意味する。 向上心のあるトレーダーが直面している問題はいかに損失を避けるかではない。 
重要なのは、損失からいかに学ぶかが重要である。 
数多くの負け方を経験することができ、そして、そこから教訓を学ぶことができれば、知恵とトレーディング手法のレベルは他の追随を許さない高みに達する。 
教訓は肌身離さず身につけておかねばならない。 しかし、個別の損失の話は短時間での精査の後は忘れることが重要である。 
損失自体は教訓を満たした容器にすぎず、教訓を得てしまえば、我々の心から永久に葬り去らねばならない。 そうすることによって、毎日を新しい気分で迎えることができるのである。 
損失から得た教訓を活かし、また限られた数の損失を1つずつ減らしながら、熟練の極みに達するべく、日々、進歩していくということである。



DT03-07 ➡ 変えられないものを受け入れることを学ぶ

心が落ち着く祈りに、次のようなものがある。 「主よ、自らの手で変えることができるものを変える力を与え給え。 
自らの手で変えることができない時にはそれを受け入れる平静さを与え給え。 そして、その違いを見極める知恵を与え給え」。 
何と力強く、深く、素晴らしい祈りであろうか。 トレーダーにとって極めて力強い言葉である。 すべてのトレーダーはこの祈りを決して忘れてはならない。 
トレーディングで利益を上げるための重要な鍵が隠されているからである。
人生で成功するための教訓がマーケットで成功するための教訓でもあるということは素晴らしいことである。 
私は、幸運にも、毎年、文字通り何千人ものトレーダーと話したり、教えたり、アドバイスしたりする立場にいるが、
その中で、あまりにも多くの人々が 「損失を被る」という決して変えることのできない事実を変えようと、貴重な時間と労力を費やしていることに気づいたのである。 
いかなるビジネスにおいても受け入れなければならないことがある。 トレーダーとして受け入れなければならないことは損失である。
それでは、いったい、我々には何ができるのであろうか。 熟練したトレーダーは損失をコントロールすることができる。 損失を低水準に抑えることができる。 
損失が小さな段階で損切るのである。 損失を少額に抑え、コントロールできる範囲内で監視するのである。 しかし、彼らにも損失を完全に排除することはできない。 
損失を排除しようとすることは無駄であり、無為に労力を費やすことになる。 損失は永遠になくなることはないので、損失の存在に慣れること、損失を管理することを学ばなければならない。 
この点を認識する知恵があれば、変えることができるものに注力することができる。 
人生で成功するには、どれだけ勝つかではなく、負けをどれだけコントロールできるかにかかっている。 
それはトレーディングにも当てはまる。 長いことかかって、私は不思議なことに、勝利は自然についてくると認識するようになった。 
トレーダーであれば、たまたま勝てる機会に遭遇することもあるが、勝つことは問題ではないのである。 同様に、負けること自体も問題ではない。 
むしろ、損失をコントロールできないことが問題なのである。この点に注目しなければならない。 それは、我々が自らの手で変えることができるものである。 
それができてこそ、我々は成功の頂きへと進むことができる。

POINT

向上心のあるトレーダーがトレーディングを始めるに当たって、 「損失を避ける」 という、決して成し遂げることのできないことから始めることは皮肉である。 
トレーダーとして損失を完全に排除することは決してできない。 損失は永遠になくなることはないのだ。 
我々の力が及ぶのは損失をコントロールすることだけである。 それを適切に行うことができれば、損失に苦しむことはなくなる。 
注意深く観察すれば、最も才能のあるトレーダーでも負けることがわかる。 それも頻繁にである。 しかし、週が終わってみれば、彼らは勝っている。 
それは、彼らが損失を避けることに注力するのをやめ、損失をコントロールすることに大半の時間を注ぎ込んでいるからである。 
この点を完全に理解することができたトレーダーに奇跡は起こる。 
損失を適切にコントロールすることによって、かつては苦労しても逃げられていた勝利が自然とついてくるようになるのである。



DT03-08 ➡ 今、この場所で成功を追求する

株式市場で勝ち続けることは、いかにうまく負けるかということと直接に関係する。このことが頭に入ったであろうか。 
この革命的な発想を脳裏に焼きつけるために、別の表現もしておこう。 正しく負けることを知ることは、トレーディングで成功するための基礎である。 
おぼろげながらでもこの真実を理解することができた者に対しては、こういう表現はどうだろうか。 
負け方が分からないならば、株式市場にとどまっていられる日数はそう長くはなかろうから、早々に帰り支度をすべきである。 
わずかに残された日々を楽しむことだ。 厳しい言い方かもしれないが、これが現実である。 
このゲームで自分は負けないと考えることは妄想である。 負けることは現実であり (頻繁に生じることもある)、正しく負けることを知ることは生き残るための鍵となる。 
たまたま運よく勝つことは誰にでもある。 株価が上がれば、利益が上がり一件落着である。 単純なことだ。 
しかし、株価が下がった場合はどうであろうか。 その時はどうするのか。 売るならば、どの水準で売るのか。 
いつ? どのように? こういった質問に対し、プロだけが行動を起こす前に答えることができる。 
初心者はダチョウのように頭を隠しただけなのに隠れたつもりになり、下落リスクには目をつぶる。 あらかじめ決めておいた行動計画がないからである。 
すべてのトレーダーが我々の損切り戦略に厳密に従えば、下落リスクに対しプロのような行動がとれる。 
我々は、あらかじめ損切りの水準を定めずにポジションをとることはない。 もちろん、損切った直後に上昇に転じる銘柄はある。 
そういう場合には損切ってしまったことを後悔する。このような不快な経験も、我々が選んで行っているゲームの一部なのである。 
しかし、我々は、いかなる銘柄に関しても決して5パーセント、10パーセントの損失を被ることはない。 
ましてや15、20、あるいは40パーセントの損失を被ることはない。 実際、損切り戦略の結果、いかなる取引においても3パーセント以上の損失を被ることはない。 
マーケットの地合が悪い時には頻繁に損切らざるを得ないこともある。 しかし、環境が好転すれば、我々が最初にバンドワゴンに参加できるのである。 
それはなぜであろうか。 答えは簡潔明瞭。 資金があるからだ。 損切り水準を設定しなかった者や無視した者には資金がないのである。

POINT

注意深く選択した銘柄を損切った時、それは負けではなく、勝ちなのである。 我々が繰り返し教え、諭していることである。 
損切りは負けではなく、勝ちなのである。 最初は、多くの者が我々の言うことを信じようとはしない。 
彼らはそれを精神論的なトリックであり、何の根拠もないと感じるようである。 しかし、トリックでも何でもない。 損切ったことは、まさしく勝ったことを意味するのである。 
では、何に勝ったのであろうか。まず、損切ったトレーダーは投下資金の大半を取り戻している。 過去にそれができればよかったのにと悔やむトレーダーは数多い。 
彼らは損切れなかったために葬りさられ、歴史の一部、そう、忘れられた歴史の一部となっている。 
次に、損切ったトレーダーは正しいポジションをとれる次なるチャンスを獲得している。 マーケットに参加できず、チャンスもない人々は大勢いる。 
彼らは損切ればよかったと後悔するばかりである。 最後に、損切ったトレーダーはマーケット参加者が得られるプレゼントを得ることができる。 自尊心である。 
トレーダーは自らがあらかじめ定めた計画をきちんと守ることができるたびに、自らの規律、自らの決意が強まるのである。 
トレーダーが自らの決意に従って行動すれば、株価は上がらないかもしれないが、彼らの株は上がるのである。 
これらは、将来、大きな配当を生むプレゼントである。 適切な水準に設定された損切りによって損失を被ったとしても、それは負けではない。 我々の考えでは、勝ちである。



DT03-09 ➡ 大負けを軽蔑することを学ぶ

オプションの行使期日であるとか、マーケット・インパクトの大きなイベントがある場合など、マーケットのボラティリティが過度に高まっている時にはトレーディング環境は厳しいものになる。 
こういった場合には損切りの回数が増加することは避けられない。 それは不幸なことではある。 
しかし、そうした場合でも、損切り水準を相対的に近くに設定することによって、大負けは避けられる。 
我々は損失が大嫌いである。 しかし、損失よりも嫌いなものを1つ選べといわれれば、それは大負けである。 
残念ながら、損失はトレーディングという上下動の激しいゲームでは避けられないものである。 
しかし、マーケット参加者が生き残れるか否かは、損失を少額に抑制する能力にかかっている。 この事実を認識しよう。 誰でもツキで勝つことはある。 
株価は上がるか下がるかどちらかである。 この結果、勝つ確率は 1/2 に近いものとなる。 しかし、プロのトレーダーだけが、損失を最小限にとどめることができる。 
プロの取引結果をみれば、彼らの損失が極めて少額であることが確認できるはずである。 逆に、初心者の損失は極めて多額であろう。 
負けることは決して楽しい経験ではないが、時には負けなければならないのならば、小さく負けよう。 
常に選択できるわけではないが、選択ができる場合には、小さいほうを選ぼう。

POINT

我々が人生において追い求めるものは決して小さなものではない。 
本当のところは、金持ちになりたい、巨額の利益を得たい、ストレッチ・リムジンがほしい、大きな家がほしい、海を見下ろすデッキに巨大なジャグジーがほしいといったことを認めるのである。 
しかし、トレーダーとして成功したいと思った瞬間から、成功は小さな包みでもたらされるものであるということに慣れなくてはならない。 
トレーダーにとって小さいことが最高であることがある。 損失と失敗である。 少額の損失はプロのトレーダーの証である。 
それが逆境から即座に抜け出す能力と手段を有していることを示す。 
ミスを小さなものにとどめることは、損失を小さなものにとどめるという意味で望ましいものである。 
向上心のあるトレーダーに1つだけアドバイスをするとすれば、損失を小さなものにとどめる技術を学べということだ。 
大きく勝つ技術にばかり注力している者は損失が避けられない時期にどのように感じ、行動すべきかがわからないのである。 
損失を少額にとどめる技術を身につけた者は、勝つことを確実にするための時間を十分に確保できる。 
正しく負けることを学べば、損失を少額にとどめることを学べば、生き残ることができる。 トレーディングでは、まず生き残ることを学ばない限り、勝つことを望むことなどできない。 
小さく負けることでそれが可能となる。



DT03-10 ➡ 熟練したトレーダーの2つの人生

「2つの人生を選ぶことができるならば、1つめはミスをするもの、 それもミスを犯すべくして犯すもの。 そして2つめはそのミスから利益を得るものがよい」 
このD.H.ローレンスの思慮深い文章は、特にトレーダーにとって熟考に値するものである。 
ローレンスは、その2つの人生を生きることに懐疑的なようだが、私は、この2つの人生を生きることができなければ、
人生全般はさておき、トレーディングに関しては何をしても成功しないのではないかと思う。 トレーダーの成長過程の初期には必ず敗者である時期がある。 
過去13年間に、私は数えきれないほどのトレーダーに会ってきたが、まず、最初に敗者となった経験をしていない者に会ったことがない。 
もちろん、その第1段階から学ぶことができた者だけが第2段階に進み、勝つことを学ぶことができる。 
いかなる切り口で見ようとも、トレーダーとして、我々は損失への対処の仕方を最初に学ばなければならず、それができなければ成功の方法を学ぶことなどおぼつかない。 
実際、成功あるいは勝利は、損失にいかにうまく対処するかにかかっている。 
悲しいことに、向上心のあるトレーダーの大半は最初の人生において負けることから学ぶことができないために、第2の人生における勝利に近づくことすらできない。 
さらに不幸なことに、多くの人々がそこから学ばなければならないことに気づいてさえいない。 
我々はトレーダーとしての最初の人生をいかに生き延びるかに主眼を置いて、歩き方、つまずき方、転び方を教えてきた。 
一所懸命、規律をもって勤勉にこれらに取り組めば、第2の人生へと羽ばたいていけるのである。 
第2の人生においては、我々はもはや必要とはされない。 だから我々は、第1の人生をいかに生き延びるかを教えるのである。

POINT

すべての個人は、ある意味で2つの人生を送る。 第1の人生は成長途上にある幼年期から青年期であり、第2の人生は壮年として成長する時期である。 
すべてのトレーダーもまた、トレーダーとしての幼年期を過ごすわけであるが、そのうちで壮年期に移ることができる者はごくわずかだ。 
トレーダーとしての壮年期は幼年期に得たすべての教訓に学び、消化し、実践に移すことが求められる。 
この成長過程を経験しない限り、トレーダーは幼年期から抜け出すことができないまま、大人になろうとしてもがき苦しむのである。 
幼年期の成長の効率を最大化するために最適な方法は、トレーディング日誌をつけることである。 
すべての取引内容を記録するだけでなく、そのトレーディングに関する見解、アイデア、その取引の結果を記録しなければならない。 
学んだ教訓を日誌に記録することによって、その教訓を決して無駄にしないようにしなければならない。 
この日誌は自分を映す鏡、また、自分がどこへ向かおうとしているかを示す地図となるのである。 
すべての経験、感情、思考を記録する習慣を身につけることによって、最終的には、壮年期に至る恒常的な成長を確保できる。 
第2の人生において、第1の人生での努力と苦労が日々のトレーディングに反映されるようになるのである。



DT03-11 ➡ 成長は時間の経過によって花開く

奇妙に感じるかもしれないが、成長途上にあるトレーダーは、個別の取引の結果によって、自らの成長や成功を判断してはならない。 
個別の取引の目的は利益を上げることであり、勝つ回数が負ける回数より多いトレーダーが成功したトレーダーであることは確かである。 
しかし、勝ち続けるトレーダーというのは、勝者の中でもさらに上位に位置している。 換言すれば、トレーダーは勝つことによって成功するわけではない。 
トレーダーは、成功しているから勝つのである。勝利は、長い間の成長過程という旅路を無事に経た後に咲く花のようなものだ。 
この旅路の最中にはほとんど勝つことはないし、旅路の前には勝ちようがない。 その旅で一歩一歩成長しながらも、それでも依然として負けているのが普通である。 
実際、負けることが成長の糧となっているのである。 大きな成長を遂げているにもかかわらず、トレーダーとしての客観的な成功、つまり、取引で利益を上げることができないでいる。 
これは成長が当初水面下で生じるからである。 
それは徐々に、密やかに自らの胎内で育つ。 母の胎内で育つ子供が、9ヵ月めくらいまでは外から見てもわからないようなものである。 
残念ながら、多くのトレーダーが苦痛を伴う損失の中で成長していることを認識していない。 
彼らは損失を被るたびに成功へ一歩近づいていることに気づくことができないのである。この近視眼的な思考の結果、まさに成長途上にある時に脱落し、トレーディングをやめてしまう。 
自らの内面的な成長を外面的な勝ち負けで判断することは間違っている。 同じ負け方を何回するかによって判断するほうが成長を測る尺度としては適している。 
繰り返して言おう。 成長を測る尺度としては、同じ負け方を何回するかによって判断するほうが妥当である。 
負けたこと自体は進歩していないことを示すものではない。 適切に対処すれば、いずれ負けは勝ちに道を譲る。 
そして、無意識のうちに、熟練の域のかすかな光を感じることができるようになる。 しかし、熟練は生まれ育つものであることを決して忘れてはならない。 
熟練は瞬間にできあがるものではない。熟練は力と実質を身につけるサナギの期間を必要とする。 
これを理解することができた者は生き残る確率が高い。 勝つためには生き残らなければならないのである。

POINT

庭師が花の種を植える時、種は地下で成長することを知っている。 庭に何も生えていないのを見た者はがっかりするかもしれないが、庭師はがっかりはしない。 
庭師の顔には自然への深い理解に基づく笑みがある。 彼らは外面的には成長過程を確認することができなくても、内面的に成長の奇跡が生じていることを知っており、安心できるのである。 
すぐに、この隠れた成長が外界に姿を現す。 時期がくれば、美しい花が咲くのである。 
我々は向上心のあるトレーダーを育てる庭師である。 我々の生徒の心に植えた種は芽を出すのに時間を要する。 
しかし、いったん芽が出れば、成長の奇跡が始まるのである。これまで、我々は成長の奇跡を数えきれないほど目撃してきた。 
成長をはっきりと自覚するのは難しい。 内面で素晴らしい成長が生じているにもかかわらず、トレーディングで勝てないがために失望することもあるだろう。 
しかし、長期にわたって失望し続けないよう努めてほしい。 自らの神経をなだめ、恐れを和らげ、成長過程が完了するまで生き残るのだ。 
そうすれば、素晴らしいトレーダーが現出し、生き残った者が最終的には勝つという事実の生ける証拠となるのである。



DT03-12 ➡ 負けることに耐えられなくなる時

最近の合宿講義の場で、ある生徒が長年の夢を熱っぽい口調で語った。 彼女の願望は人生の糧をマーケットから稼ぎだすプロのトレーダーに なることであった。 
「でも」 と、彼女は、突然真っ黒な雲が頭上に広がっていることに気づいたかのような口調で言った。 「私は負けてばかり。 怖くなってしまった」。 
「なぜ?」と、私は問いかけた。 「負けるたびに私のゴールが遠ざかっていく。 負けないようにしなければ。 そうしなければ夢をあきらめなければならなくなってしまう。 
私の船は沈みかけている。 助けてください」 と彼女は続けた。 私はそこに座ってしばし沈黙した。 私は適切な言葉 を探した。 
彼女が経験していることが最高のことだと、いかにしたら伝えることができるのだろうか。 
勝つためには 「才能のある敗者」としての経験を経なければならないことを、戯言に聞こえないように、うまく説明することができるのだろうか。 
敗北は常に勝利の母なのである。 成功した実業家が何度も何度も敗北を味わった後に成功するといった話は数えきれない。 
幼児は何度も何度も転んだあげくに歩けるようになるのである。 ひねくれて非常識に聞こえるかもしれないが、負けることが成功への切符なのだ。 
負けることがトレーディングを極めるための架け橋となる。 
勝利するという望ましい状況は、とてつもなく大きな代償を払わない限り手にすることができないことを、多くの人は理解していない。 
そして、突き詰めれば、多くの人はその代償を払う勇気がないということも事実である。 
トレーディングは誰でも成功できるという種類のゲームではない。 それがたいていの人々が失敗する理由であり、そして誰かが常に失敗する理由でもある。 
生き残ることができた者、負け続けている苦しい時期を耐え抜いた者にこそ、成功の可能性が残されているのである。 
トレーダーとして成功している者の多くがトレーディング以外では敗者であったことを不思議に思ったことはないだろうか。 
彼らは負けることへの対処の仕方を学んだおかげでトレーディングでは成功しているのである。 
彼らは負けることを受け入れ、利用することを学んだのである。私は彼女に対して深遠な言葉を返すことはできなかった。 私が言うことができたのは「それでいい」 という一言だけだった。

POINT

ジョージ・バーナード・ショーの 「人生で勝ち上がるためには身構えていては駄目で、攻撃され、打ちのめされなければならない」 という言葉は核心を突いている。 
初心者トレーダーの日々は打ちのめされることの連続である。 
風に耐えて強く成長する森の木々のように、転ぶたびに起き上がってくるトレーダーが尊敬を勝ち得る日をいつか経験するのである。 
負けを経験するたびに次に向けて自分が強くなっていることを認識してほしい。 起きあがるたびに心が明るくなっていることを認識してほしい。 
我々は20年間のトレーディングを通じて、若きセネカが何世紀も前に発見した真実に行き当たったのである。 「我々は逆境を通じて賢くなる。 
あまり早くに繁栄を経験すると何が正しいかがわからなくなる」



DT03-13 ➡ 授業料を最大限活かすために

繰り返しになるが、バーナード・ショーはかつて「人生で勝ち上がるためには身構えていては駄目で、攻撃され、打ちのめされなければなら 「ない」と言った。 
バーナード・ショーに相場の経験があるのかどうかは知らないが、彼の洞察に満ちた言葉にはすべてのトレーダーが学ぶべき知恵が含まれている。 
マーケットで学ぶためには授業料が必要だ。 我々の授業料は損失を被るということである。 
しかし、その損失を賢く活かすことができれば、結果的には損失を少なくし利益を上げることができるようになるのである。 
問題は、「マーケットにおける経験を活かしているか、特に、損失を活かしているか、それとも無駄にしているか」ということである。 
言い方を換えれば、損失を、マーケットの支配者となるための布石としているかということである。 自分の失敗から学んでいるか。 個々の失敗を分析しているか。 
トレーディングにおける1つ1つの失敗に含まれている宝石を見つけ出すことができているか。 読者がそうであることを、私は心の底から望んでいる。 
失敗を通じて豊かな教育を受けることがマーケットへの洞察を深めるのである。

POINT

トレーディングで勝つことは心地よいものではあるが、そこから得るものはない。 
負けることがトレーディングで成功するための道を拓く。