DT01-02 ➡ 熟練したトレーダーはわずかな道具しか必要としない
トレーダーとして成功するためには、いくつかのトレーディング手法に習熟するだけでよいというのが、私の長年の信条である。トレーダー志思者の多くは、とてつもなく長い経験の中で知識を蓄積[ちくせき]
축적しなければトレーディングで身を立てることはできないという誤った誰識を持つがゆえに、その資格を手にすることができない。この考えは必ずしも正しくないというばかりでなく、事実はほとんど逆に近いのである。
実際、私の経験では、限られた知識しか持たないほうが、いわゆる経験者よりも効率的なマーケット・プレーヤーになれる。 なぜだろうか?まざまなマーケットにおける経験は、正しく解釈して活用するのでなければ、不正確な思い込みを助長するからである。 そして、不正確な思い込みは、時間の経過とともに、トレーダーを破滅させる誤ったイデオロギーに発展するのである。
知識はカであるが、それは正しい知識の場合である。
POINT
最高のトレーダーは、ミニマリストである。彼らは、安定的に機能する2つか3つの手法に気づき、そして、それを繰り返し使用するのである。反復には価値がある。
DT01-03 ➡ 今、この場所で成功を追求する
事後に振り返って、いつ、なぜ、マーケットで、いわば病巣が大きくなったかを理解することは意味がある。 しかし、なぜ、病気が進行するのかを事前に知ることはもっと価値がある。 事前に知ることに価値があるならば、なぜ、多くのウォール街のアナリストやテクニカル・アナリストは事後の説明に満足しているのであろうか。 おそらく、事前に予想を出すことは、それまで懸命に築き上げた評判を台なしにするリスクがあるからだろう。 それは膨大な[ぼうだいな]
数や量が非常に大きい様子を表す言葉調査と作業を要するだけでなく、その結論を全世界にさらすことになる。
そういう現状に対して、我々が批判的であるのは言うまでもない。 失うものが多い者ほど、予想を一般に公表しないのだから、我々が提供するようなサービスの余地がある。 過去 6年あまり、インターネットの普及によって、 果敢[かかん]
과감 に先を見ようとする会社やマーケット関連のサービスが増加した。 アクティブなマーケット参加者にとって、同じことをやった場合に失うものの大きいウォール街の巨人たちよりも、これらの会社やサービスのほうが価値があるだろう。 わずか数年間のうちに、我々のサービスは世界中の 48 ヵ国で顧客を獲得した。 なぜ、我々のサービスがこれほどの支持を得たのだろうか。 それは極めて単純なことである。 それは、我々ーーそして他の新興の会社一一が、今後、何が起こるのかに注力することに、日々、自らの評判を賭けてきたからである。 我々は、学問的にわずかな価値しかない既知の事実にはほとんど時間を割かず、今後起こると考えるところに全精力を傾けた。 そして、従来よりも洗練された今日のマーケット参加者は、それによりさらに成長するのである。
ここで、看過できない重要なポイントを指摘しておかねばなるまい、。 後ろではなく、先を見てマーケットに参加することは極めて重要なアプローチではあるが、マーケットの見方あるいは考え方について、あまりにも視点を先に置くことは、必ずしも得策ではない。 これが、我々が8ヵ月先に何が起こるかについて特に興味を持たない理由である。 実は、これは才能のない者が批判をかわし息にやるための言い訳なのである。 かつてヘッジ・ファンドのファンド・マネジャーとして定期的に相場観を報告しなければならなかった時に、ウォール街の経験昌として学んだことがある。
一般の投資家が、なぜ、この経験則に気づかないのか不思議でならない。 その経験昌とは、迷った時や疑念に昔まれた時には、6 ヵ月から8カ月先の相場観を示せということである。 その相場観が正しいかどうかが判明するには相当の時間がかかる。 相場観が正しくなかった場合も、ほとんどの人はそれに気づかない (一般大衆は忘れっぽぱいのだ)。 いつでも相場観を変えることができるし、あるいは、単に別の相場観を示せばよいのである。
これが最低の行為であることは言うまでもない。 極めてまれではあるがウォール街にも本当に才能のある者がいる。 もちろん、彼らが常に正しいわけではない。 しかし、彼らは自信を持って、求められれは毎日壇上に上り、「注意しておかなければいけないことはこれこれで、利益を得るためにこの手法を提案します」と述べることができる。 そういった根性のある行動を見たり、情報紙や情報提供サービスなどで目にしたりすると、私はとりあえず敬意[けいい]
尊敬する気持。
경의を表すことにしている。 そして、次に、情報紙を通じて、あるいは個人的にその人を知ろうとする。 ここで言いたいことは、我々トレーダーという職種の人間にとって重要なのは、今現在である。 我々は過去に生きるわけではないし、現実から逃避して遠い未来に生きるわけでもない。 アクティブなマーケット参加者として、恒常的に 2日 から 2 週間ほど先を見ながら過ごしていくのである。 これはぜひ書きとめておいてほしい。
換言すれば、マーケットを見通す際に、自分たちで消化可能な 2日 から 2 週間の期間に時間軸を区切るあということである。 これも書きとめておいてほしい。 これを正しく行うことができれば、利益を得る可能性が高い。 仮に、見通しを誤った場合でも、もちろん時にはそういうこともあるのだが、早急に見通しを改めて先に進むのである。 正しい見通しを持つべき 2日 から 2 週間先は常に存在するのである。 2日 から 2 週間の見通しを誤ったとしても、トレーディング生活を無駄にしたり失ったりするようなことにはならない。 これが8 ヵ月、12 ヵ月にわたる見通しの誤りなら話は別である。 我々の認識ではそれは犯罪である。 この変化の激しい世界においては、取り返しのつかない犯罪だ。 そんなリスクを犯す必要はあるまい。
POINT
既に起こったことの分析にあまり注力してはならない。 2日 から 2 週間先を見通す姿勢でマーケットに参加しなくてはいけない。 過去を取引することはできない。 また、あまりにも遠い将来を正確に予見することもできない。 しかし、すでぐ目の前にある期間については、ある程度の確信を持つことができる。 適切な表現がないので、この期間を目先とでも呼ばう。 目先において、我々トレーダーは、我々が求める正確性、成功、安心を得るのである。
DT01-04 ➡ 熟練したトレーダーは、なぜチャートで取引するのか
我々の作業は、テクニカル分析がそのほとんどの部分を占める。 テクニカル分析は、短期のトレーダーが売買の判断を行うに際し、よりしっかりとした基準を提供するものである。
ファンダメンタルズが極めて強固な企業でさえ、数日間あるいは数時間で 2ドルから 10ドル下落することがあることを、また、逆に、ファンダメンタルズが脆層な企業が上昇することを、多くのトレーダーが体験している。
ファンダメンタル分析は時には有効であり、株価を 1年半から 5年の期間で考える時にその価値が最大化される。
逆に、価格形成パターン、支持線や抵抗線、出来高の特性、取引主体の特性、上放れ・下放れなどといったテクニカル分析手法は前述の目先に基づいており、短期トレーダーのためのものである。
しかし、ここで確認しておかなければならないことは、テクニカル分析におけるチャート・パターンはあくまでも指針であり、それ以上でもそれ以下でもないということである。
それはトレーダーが、ある特定の日の確率を評価する際の、あるいは現時点でのメリットやリスクを評価する際の一助となるものであり、決して成功を保証するものではない。
全く間違いがなく、完全に正確なものとして信じるわけにはいかない。
しかし、それでも我々は、ある事象が生起する確率を測るバロメーターとして、テクニカル分析やチャート分析に勝るものはないと考えている。
さて、十分に知識を持たない初心者は、ある特定のテクニカル分析の概念、例えば、支持線がうまく機能しなかった場合に、テクニカル分析は信用できず、使えないといった誤った認識を持つが、それは大きな間違いであり、避けなければならないことである。
経験豊かなトレーダーなら、テクニカル手法が失敗する事例を、成功事例と同じほど体験している。
支持線が 4 回続けて機能した後、突然、下抜けしたとしよう。 それは支持線の概念が機能しないことを示すものではないと、我々は考える。
それは極めて価値のある、有効な情報であり、テクニカル分析の概念として最も価値のあるメッセージなのである。 つまり、変化である。
次の例を考えてみよう。 98年の中旬にインテル社が3みヵ月間にわたる支持線を 90 ドルで割り込んだ。
この時に、「だからテクニカル分析は信用できない。 支持線は機能しなかったではないか」という人が存在していたことは間違いないだろう。
そして、彼ら評論家たちは、その後、インテルが 70 ドルまで下落したことによって損をしているに違いない。
インテルが 90 ドルで支持線を割りこんだことはテクニカル分析の失敗ではない。
それは 1 つのメッセージだったのである。 テクニカル分析を理解していれば、損をしなくて済んだはずである。
POINT
ファンダメンタルズは重要ではあるが、 目先のリスク評価の助けにはならない。 この点において、テクニカル分析やチャート分析はファンダメンタル分析よりも輝きを増す。 チャート分析が常に機能すると期待することは愚の骨頂である。
チャートが常に正しいわけではない。 時には機能しないこともあるが、それは経験豊かなトレーダーには価値あるメッセージなのである。 トレーダーは、いかにしてそのメッセージを聞くかを学ばなければならない。
DT01-05 ➡ チャートは嘘をつかない
テクニカル分析あるいはチャート分析の何たるかについて全く認識していない、いい加減なマーケット参加者があまりにも多い。 それは必ずしも彼らの犯罪ではない。 しかし、悲しむべきことに、これらの十分な知識を持たない人々がテクニカル分析を批判する急先鋒なのである。
先に述べたように、チャートはマネーの動きをグラフ上に表示した[しめした]ものにすぎない。 言い換えれば、人間の心理、繰り返し生じる恐怖や欲望、そして不確実性のサイクルを示した[しめした]ものである。 チャートの特長は、それが事実であるということである。 CNBC、MSNBC、マネーラインなどのテレビ番組で大会社のファンド・マネジャーの顔を見ることがあるが、彼らは大きなロットの売り注文をさばく目的で十分な買いを作りたいがために、その銘柄を気に入っていると平気で嘘をつく。
しかし、チャートは嘘をつかない。 売り注文を出すたびに、瞬時にチャートに反映され、出来高がその売り注文の大きさをつまびらかにする。 チャートを見ることによって嘘かどうかということがわかるのである。 著名なアナリストがX社がその業種の中で支配的な地位を占める旨のレポートを書いたとしよう。 それが真実か確認する方法がある。 つまり、X社の株価チャートを見て、その上昇ペースがそのセクターの指数よりも早ければ、「このアナリストとは友達になってもよい」と確信を持てるのである。 逆に、チャートが地獄への階段を下っていくようであれば、「このアナリストは大したことがないか、あるいは、嘘をついている」ということが分かる。
財務諸表は会計上の粉飾によって実態と異なる姿を示すことができるが、チャートは嘘をつかない。 ある会社の社長が記者発表の場で、威勢はいいが不正確な説明をするかもしれないが、チャートは決して嘘をつかないのである。 投資家やトレーダーは、額の多少にかかわらず自らのお金を投資しているのであり、口先に従って投資しているのではないのである。 こうした投資が常に正しいわけではないが、(買いであれ売りであれ) その投資判断は信念と確信に基づいているのである。 そして、この投資判断がチャートを形成する。 忘れてはならない。 チャートは嘘をつかない。
POINT
株価の動きは、欲望と不安と恐怖のいずれかの感情に基づいている。 不安は、欲望と恐怖という2つの支配的な感情の狭間にある小休止のようなものである。 マーケット参加者の大半が欲に支配されている間、株価は上昇する。 これが強気相場である。 逆に、大半の人々が恐怖に支配されている時には株価は下落し、弱気相場となる。 彼らが不安になっている時、あるいは様子見気分になっている時には、短期的には方向性がなくなり、株価は横ばいで落ち着く。
株価チャートは、マーケットの真の参加者が誰であるかを瞬時に把握することを可能にする。 チャートは嘘をつかない。 マーケット参加者の大半が何を感じているか、何を行っているかをつまびらかにする。 株式の分析にチャートを使わないのであれば、チャートを熟知している者の餌食になるリスク、有象無象のお人好しの馬鹿になるリスクを抱え[かかえ]
1.雇うこと。
2.年季をきめて抱えてある芸者・遊女。
안아ることになる。 簡潔に言えば、熟練したトレーダーは、チャート分析を行わなければ話にならない。
DT01-06 ➡ マネーの足跡をたどる
我々のニューズレターの購読を検討している人や購読を始めたばかりの人は、我々の分析のほとんどが伝統的ながファンダメンタル分析ではなく、チャート・パターンやテクニカル指標の分析に基づいていることに若干の不安を持つようである。
歴史的に、一般大衆は企業収益や PER (株価収益率)、債務水準、業種の成長性などの分析に安心感を持ってきた。 チャート・パターン、上放れや下放れ、出来高、リバーサル、移動平均などのテクニカル分析の手法は、批判されてきたばかりでなく、まやかしのたわごととして無視されてきた。
しかし、テクニカル分析、株価チャートは、資金の移動の足跡を辿ることに他ならないのである。
そして、マネーは嘘をつかないということを再確認されたい。 逆に、投資家やアナリスト、ウォール街の証券会社や投資銀行は、自分が望んでいることを口にするものなのだ。
彼らは寛大にも自らの見方やアドバイスを惜し気もなく公表する。 しかし、結局のところは、彼らが本当に信じていることというのは、彼らの投資行動を追うことによって、つまり、彼らがどのようにマネーを動かしたかを追うことによって確認できるのである。
大手の証券会社がある銘柄を「買い推奨」する一方で、彼らちがアドバイザーをしている機関投資家がその銘柄を売却しているなどということはざらである。 ある企業の経営陣が会社の将来性について壮大なコメントを出している傍らで、社長以下清掃係までがその会社の株式を市場で叩き売っているなど、信じられないかもしれない、。
マネーは真実を映し出す。 マネーの動きを追うことによって、誤解を招きがちな表層を取り払うことができる。 マネーの動きは、主要なマーケット参加者の、純粋な志向をつまびらかにする。
これが、熟練したトレーダーがチャートを使用する理由である。 考えてみてほしい。 株価チャートは実際のマネーの動きの足跡にすぎない。 確かに、企業業績などは重要である。 しかし、財務諸表の数値やアナリスト・レポートが株価を動かすことはできない。 マネーの移動だけが株価を動かすことができるのである。
そこで、レポートは要らないから、マネーの動きを見せてほしいということになるのである。
POINT
アクティブなトレーダーは、患者の身体の内部をレントゲン写真によって確認してからでないと診療しない医者と似たところがある。 医者は、どのような症状なのか、どのような感覚なのかについて、直接、患者から聞くことができる。 しかし、よい医者はそれだけでは満足しない。
もちろん患者の言うことに耳を傾けるが、自らの「洞察」を得るために、レントゲン写真を撮る。 もし主治医がこうした行動をとらないなら、やぶ医者であることは間違いあるまい。 短期のトレーダーは、これと似たような状況にあるといえる。
常によいニュースと悪いニュースの洪水にさらされ、またさまざまな矛盾する見解にさらされているのである。 個人的な友人からフォーチュン 500 社に入る企業の社長まで、ありとあらゆる人々がトレーダーの考え方、見方、そして信念に影響を及ぼばそうとしている。
誤練したトレーダーはそれらを考慮に入れることもできるが、彼らは、あくまでも彼自身のレントゲン写真による「洞察」を持たなければ、外部の影響を排除できないということを認識している。
熟練したトレーダーは、チャートによって、誰が嘘をついているのか、真実を述べているのかを見分けることができる。 マネーの移動を確認し、大口の買いが、いつ、どのように生じたのか、あるいは手仕舞いが、いつ生じたのかを知ることができるのである。
我々の考え方や信念に影響を与えることに関心がある人々については、疑念の目をもって接しなければならない。 しかし、チャートは真の友人なのである。 チャートはマネーの移動の記録であり、マネーはトレーダーが最終的に信頼できるものである。 チャートを活用しない手はない。
DT01-07 ➡ テクニカル分析を知るか、死ぬか
多くのトレーダーは、我々が、トレーディングの分析の基礎として、ある銘柄のファンダメンタルズや成長シナリオを深く検討せすずに、ほばぼ全面的にテクニカル分析 (出来高、価格パターン、モメンタムなど) に依存していることに驚嘆することだろう。
実際、 我々は全面的にテクニカル分析に依存しているために、CNBC 以外のニュースに接することはない。 簡単なマーケットの状況把握と、 時折[ときおり]
ときどき
가끔 の笑い話の種 (つまらない題材を楽しませてくれるという意味で、CNBCはよい仕事をしている) として CNBC を見ている。
これは、ファンダメンタルズや成長シナリオに価値がないということを意味しない。 その価値が、往々にして比較的小さく、短期トレーディングにはあまり関係がないということを言っているにすぎない。
少し説明しよう。 ある銘柄を20ドルで購入したとしよう。 目標株価は22.5 ドルであり、損切り水準 (あるいは、心の中での損切り水準) を 19ドルに設定するとする。
悪材料のニュースが発表され、損切り水準まで株価が下落したとしよう。 結果はどうだろうか。 1ドルの損失 (単純化のために、手数料は考慮していない) である。 換言すれば、そのニュースが何かを引き起こしたわけではないのである。 1 ドルの損失に何か品った意味があるのだろうか。
考え抜いた末のトレーディング計画がどう転ぼうと損切り水準ではポジションを手仕舞うというものであった場合、株価の下落を招いている要因を知ることの真の価値は何だろうか。 実は、その要因を利ること自体が、トレーダーをつまずかせるもののようである。
必要な時に必要な行動がとれなくなるのだ。 ニュースやウォール街の高給取りの言うことや、噂などに影響を受けてポジションを手仕舞った後に、株価が急騰することはざらである。 同様にポジションをとった直後に、株価が急落することもざらである。
しかし、すべての行動は、噂や絵空事ではなく、入念に考え抜かれたトレーディング計画に基づくべきであると、私は自らの経験から確信している。 そうであるからこそ、混池とした状況下でトレーダーは自らをコントロールできるのである。
これが、他者が混乱し無力になっている時に、優れたトレーダーが正気を維持できる方法なのである。 端的に言えば、これが、株価の動きという唯一信用すべき事象に集中することによって、優れたトレーダーが儲ける方法である。 他のすべての事象は余計なものであり、不完全なものである。
パトリック・ヘへヘンリーが「他人が何をするかはいざ知らず、私にとっては、テクニカル分析を知るか、死ぬかだ」と言ったことを、すべてのトレーダーは肝に銘じるべきである。
POINT
ニュースや絵空事、噂、助言などによって、株価は急激[きゅうげき]
급격한な動きを見せることがある。 しかし、熟練したトレーダーはそのような外部情報によって計画を変更することはない。
特に、売りの計画を持っている時にはなおさらである。 熟練した短期のトレーダーにとって、株価下落の材料はほとんど意味がない。 テクニカル分析に基づいて損切りの水準を決定したならば、それで話は終わりなのである。 ニュースや噂によって、その決定を翻してはならない。
初心者は負けている取引にしがみつくことを正当化するための事象や理由を探し回りながら、「なぜ、A 株は下落するのか」とか、「B株が下落しているのは、何かのニュースのせいなのか」 といった質問を胸に抱くのである。 往々にして、下落の背景にあるニュースは彼らを安増させるものである。 「そのニュースは全くの悪材料ではない。
あともう 1時間、あるいは1日耐えれば、再び上昇を始めるだろう」と思うわけだ。 優れたトレーダーはいかなる代償を支払ってでも、テクニカル分析に基づいて行動し、あらかじめ定めておいた損切りの水準をきちんと守る。
優れたトレーダーはテクニカル分析と損切りの水準に基づいて行動し、その後で、疑問があれば解決するのである。 疑問は傍観者が持つものである。
換言すれば、疑問は戦の前と後で持つべきものであり、戦の最中に持ってはならない。 還壌に入っている時 (取引をしている時) には、戦の計画 (トレーディング計画) は地図 (株価チャート) に基づいて遂行されるべきである。 考えてみてはほしい。 軸壇の中で、神経質にやたらと質問をする者が隣にいたら、とても不安になるだろう。
DT01-08 ➡ 錆びたナイフだけで鈴撃戦に参加してはならない
カナダのマスコミに、プリスティーン・デイトレーダー社の米国での評価が高い理由について、あれこれ質問されたことがあった。
「あなたはプロのトレーダーなのですか ? 」
とレポーターは質問し、私は「そうだ」と答えた。
「何年くらいトレーディングをやっているのですか?」
「もう 12年になりますね。 6年間は初心者として、そして 6年間はプロとしてね」
「負けたことはありますか ?」
「もちろんです。 負けることに関しては、誰にもひけを取らないですよ」
「ちょっと待ってください。 事実関係を確認させてください。 あなたが負けることがあるのですか ? 」
「もちろんです。 そう、営に負けていました」
「どのくらいの期間にわたってですか ? 」
彼は許しげに聞く。
「4~5年といったところでしょうか」
この時点で、レポーターが混乱しているのが見てとれた。 あのバロンズ紙がネット上でのデイトレーダー向けサービスとしてはナンバーワンであるとしているプリスティーン・デイトレーダー社主幹のオリバー・ベレスが、平然と、恒常的に負けていたと言っているのである。
「しかし、バロンズ紙はあなたのサービスがベストだとしていましたが」と彼は続ける。 「だからどうだと言うのです。 私のサービスは勝者であっても、それは私が敗者でないことを意味しないのですよ」と、私はすまして言った。 長い沈黙があったが、私は先に口を開こうとはしなかった。
私は、彼が気まずく感じているのを楽しみ始めていた。
「教えてください」
ついに彼は口を開いた。
「何なりと」
「今は勝っているのですか ? 」
私は、彼がどんな答えを期待しているかがわかった。 彼は、冷たく、無常で、純粋な真実を突きつける者との会話に慣れていなかった。 彼は我を失い、ふらふらして、陸に上がった魚のようであった。
そして、実は私はそうした瞬間を楽しんでいた。 正直言うと、彼の期待に応えたくなかった。 しかし、私は言った。
「時には勝ちますよ」
再び、沈黙。
「ほとんどの場合ですよね?」
彼は狐につままれたように対いた。
「そうですね。 今は負けるより勝つほうが多いですねわ」
再び、沈黙。 これが最後の沈黙となりそうだ。
「ベレスさん、最後の質問です」
「どうぞ」
「他の人々が負けるのを防ぐことはできますか ?ぅ 」
彼はカカをこめて聞いた。
ここに罠[わな]
함정があるのである。 他のサービスの提供者や広告担当や営業担当が陥る亡である。 しかし、私は違う。 私は、そんな安易な罠[わな]
함정に陥りはしない。
このカナダのレポーターは、すべてのトレーダーの祈りに私が応えることができると言うことを期待し、そして、私のサービスによって損失を被った人を探し出すことに精を出すのであろう。
「とんでもない。 他の人々が負けることを食い止めることなどできるわけがない」
「では、ベレスさん、あなたには何ができるのですか? あなたの叫客が負けないようにすることができないのなら、彼らは何に対してお金を払っているのですか?」今度は私が沈黙する番であった。
「錆びたナイフ 1 つで銃撃戦に参加しないようにすることですよ」
カナダのレポーターは爆笑した。
我々のサービスを求めるトレーダーたちは、我々が彼らを勝者にすることができないと告げると、たいていはひどくショックを受けるようである。
彼らは、我々が人気のある情報誌の編集者、全国的に奇跡の仕事人、夢の伝達者、希望、富、英大な資産を保証する者として自らを売り出していると思っているようだ。
我々をよく知っている人々は、我々が決してそのようなことを約束したり、助長したりすることはないと知っている。
本当のところ、トレーディング技能を他人に移殖することは誰にもできないのである。
魔法の杖の一振りで、意識づけ、精神的な姿勢、勝者の規律と行動のあり方などを伝授することはできない。 自ら、勝つ権利を獲得するしかないのである。
トレーダー予備軍は皆、勝てるだけの可能性を秘めているが、その可能性は未発達であり、それぞれが自らの手で導き出すしかない。
それは個人的な挑戦であり、他人が代わりをすることはできない。 我々ができることはトレーダーが進むべき道を示すことくらいである。
我々の豊富な知識をもってしても、トレーダーの人生を台なしにするような無数の落とし穴や罠[わな]
함정を指摘することができるだけである。
トレーダーに何が機能して何が機能しないのかを教えることはできる。 我々が努力して築き上げた知識を示し、利益の上がる戦略や技術を明らかにすることはできる。
しかし、我々が何をしたところで、トレーダーがそうした戦略や技術をどのように使うかを我々はコントロールできない。 トレーダーの思考回路、感じ方、事象に対する反応ながどをコントロールすることは不可能だ。
また、トレーダーの机怖感に影響を与えることも、心理あるいは感情を変えることもできない。
トレーダーか必要な装備をもってゲームに参加できるようにすることはできる。 しかし、トレーダーの荷物を整えてあげた後は、そして、トレーダーの耳元に激励の言葉を唱いた後は、トレーダーは 1 人で立ち向かわなければならない。
我々が彼に代わって試験を受けることはできないのである。
我々はトレーダーの準備を手助けすることができるだけである。 それが我々の使命であり、本書の目的もそこにある。
それが、世界中のトレーダーがお金を払って、我々に求めているものである。 その期待に応えるベく、我々は寸暇を惜しんで取り組んでいる。
我々はただ 1 つのことを使頭において本書を執筆した。 それは、読者が錆びたナイフ 1 つで銃撃戦に参加しないようにすることである。
POINT
トレーディングに習帝するには、まず、自己に精通しておく必要がある。 それがインストラクター、あるいはトレーディング・サービスという形式であっても、師匠が弟子にトレーディングにおける成功を伝授するには限界があるというのが真実である。
師匠ができることは、和弟子が次なる戦いに備えて適切な装備を持ち、その操作に習熟していることを確認するのみである。
戦いそのものはトレーダー個人のものであることを肝に銘じてほしい。 誰も他人の代わりに戦うことはできない。
誰も不可避の困難を肩代わりしてくれないし、和らげてくれもしない。 個人の努力だけが成功をもたらすことができる。
適切な指導の下でそれが可能であるし、あなたがそれを成し遂げるのである。
DT01-09 ➡ まず知識を求めよ、利益はその次である
成功とは非常に暖昧な言葉であり、その定義はそれぞれが定めるべきものである。 なぜか? それは、それぞれの成功の意味には固有の定義があるからである。
しかし、成功の正反対の概念である失敗はただ 1 つの事象によって定義される。 基細なことにとらわれる習性である。 たいていの人々は人生の大半をほとんと価値がなく、取るに足らないり物事にとらわれてすごしている。
簡単に具体例を見てみることにしよう。 我々のニューズレターは 2 つのポイントを提供するよう努めている。 まず、トレーディングの知識である。
そして、トレーディングで利益を得ることである。 ここで、利益が大方の関心を集めるであろうが、知識のほうが圧倒的に重要である。 2 ドルや3ドルの利益なぞ、いったん確定してしまえば、それでお仕舞いではないか。
しかし、なぜ利益が出たのかを知ることは、継続的に利益を出し続けることを可能にする。 これは中国の有名な故事にうまく言い表わされている。
「ある男に魚を与えれば、彼はその日は食料を得ることができる。 しかし、その男に釣りを教えれば、彼は一生食料を得続けることができる」。
我々がニューズレターに教育的な見地を盛り込んでいるのは、トレーダーに何が重要なのかを学んでほしいからである。 トレーダーには、ぜひ利益を追求し、利益を上げてもらいたい。 しかし、利益を得る過程で、その瞬間に利益を得るだけでなく、継続的に利益を上げ続けるための知識を学ぶことを忘れないでもらいたい。
POINT
重要性の観点からは、常に、最初に知識ありきでなくてはならない。 抜かりのないトレーダーであるには、知識欲を利益に対する欲望に優先させなければならない。 一時的な利益を犠牲にしてでも、知識を追求することによって、トレーダーは近い将来、これまで見たこともないような利益を得ることになる。
知識が最も重要であるとの認識があれば、無限の利益がついてくることはほぼ必定である。 それは正当な真の利益であり、長続きする。 可能な限り知識を追求してほしい。 すぐに利益が湧き上がってくることを確認できるはずである。
DT01-10 ➡ 短期の時間軸一トレーディングの正確性を高める鍵
先に述べたように、我々は非常に短期 (2日 から 2 週間程度) での相場観を提供している。 しかし、時にはニューズレターの購読者から、我々のアプローチが長期的に有効であるかを判断するために、中期から長期の相場観を提供してほしいと求められることもある。
既におわかりのこととは思うが、我々は数週間を越える時間軸の相場観には重要性を見いだしていない。 これはそもそも我々が短期のトレーダーであるということもあるが、そのほかにも理解しておくべき重要なポイントがある。 我々にとっては明らかなことなのだが、分析の時間軸が長くなるほど、その正確性は劇的に低下する。 しかし、学界やウツウォール街のアナリストは、その逆が真であるとする。
これは根本的に道理にかなっていない。 対象とする物が遠ざかるほど見えにくくなるものなのである。 当然ながら、15 分後に何が起こっているかを知ることのほうが、1年後に何が起こっているかを知る可能性よりも高いであろう。 それはマーケットにも適用できるのである。 短期の時間軸のほうが相場観の正確性も高い。 長期的にはさまざまな環境変化が生じることから、
長期における正確な相場観を形成することが極めて困難となる。 これが、我々が 2日 から 2週間程度の時間軸に注力する理由である。
POINT
抜かりのないスウィング・トレーダーは、数日後についての相場観のほうが数年後についての相場観よりも正しい確率が極めて高いことを知っている。
熟績したデイトレーダーは、数時間後についての相場観のほうが数日後についての相場観よりも正しい確率がさらに高いことを知っている。
数分後についての相場観のほうが数時間後についての相場観よりも正しい確率が驚異[きょうい]
「驚きあやしむこと」「驚き不思議がること」「その事柄」という意味です。的に高いことを知っている。 優れたトレーダーは、根本的なところで確率を重視することを忘れてはならない。
完全に正確を期することは不可能ではあるが、トレーダーは、短期の時間軸で行動することによってマーケットの確率を味方にすることが可能である。 優れたトレーダーはこの事実を知っている。
これが、優れたトレーダーの相場観およびアプローチが短期である理由なのである。
DT01-11 ➡ なぜ短期の時間軸が最も安全なのか
私がデイトレーダーであることを最も幸福であると感じるのは、マーケットが非常に困難な状況にある時である。 長期のアプローチは、マーケットがパニック状態に陥った時に真のテストを受けることになる。 マーケットが混乱状態の時は、いかなるトレーダーにとっても御し難いものであるが、混乱時には常に短期のプレーヤーが有利である。 なぜか?
すばやいトレーダーは、いかに状況が悪化しても、日ごとに、それを受け入れることができるからである。 デイトレーダーは、10 セントの利益を求めて出動することができるという利点がある。 デイトレーダーは小刻みに縫うように動き、一瞬でサイドを替え、スタンスを替える。 一時的には恐怖に沿って行動することもできるし、マーケットのムードが改善すれば、すかさずポジションを替える。
頻繁[ひんぱん]
繰り返し繰り返し(次から次へと)行う(起こる)さま。
자주に売買を行うトレーダーが最も輝くのは、暗い状況の時であることは人否定できない。
他方で、長期のアプローチを標構するものは、抹殺されるとは言わないまでも、相当 傷[きず]
상처 つくだろう。 98年後半に、当時絶頂にあったヘッジ・ファンドのLTCM (Long-Term Capital Management) が破綻した事例を想起してほしい。 EFRB とメリルリンチや JP モルガンなど多数の大手投資銀行の支援がなければ、最大かつ極めてレバレッジの高いヘッジ・ファンドは消滅していただろう。 彼らの名称とアプローチが、「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」ではなく、「ショート・ターム・キャピタル・マネジメント」であれば、結果がよかったかどうかは知る由もない。
しかし、彼らに起こったことを考える限り、アプローチが違えば、結果は異なっていたのだろう。 ここでのポイントは、デイトレーダーたることを幸福に思えということである。 環境が思わしくなく、あるいは荒れ狂うマーケットに自分が妨れおののいている時には、たいていのトレーダーが 傷[きず]
상처 を負う。
しかし、長期のマーケット参加者の 傷[きず]
상처 は、より深いのである。
POINT
その昔、頻繁[ひんぱん]
繰り返し繰り返し(次から次へと)行う(起こる)さま。
자주に回転させる売買は、精神衛生上問題があり、ストレスが強く、偏頭痛と胃潰瘍を招くものだと思われていた。 当時は、すべての保有銘柄を長期にわたって持ち続けることが唯一の安全な投資手法であると認識されていた。 しかし、今日の、過度にボラティリティの高いマーケットでは、特定銘柄が 40 パーセントから 60 パーセントも下落するような地合の悪きもあって、マーケット参加者は、より短期指向にならざるを得なくなっている。 最近では、デイトレーダーであることはストレスを感じる頻度が少なくなることを意味する。
保有銘柄が 2 週間で 40 パーセントも下落するのを見ていることは非帯なストレスであるが、第三者として見る場合には、話が違うだろう。 デイトレーダーは、より安全なアプローチをとっていると自信を持つべきである。 保有銘柄が 40 パーセントも下落することを看過することに弁解の余地はないと我々は考える。
優れたトレーダーは決してそんなことはしない。 なぜか。 それは、優れたトレーダーは以下の7 点を信じているからである。
1 ) 迷った時には、ポジションを手仕舞う。
2 ) ポジションを取り直すことはできる。
3 ) ポジションをすっきりさせれ (手仕舞え) ば、頭の中もすっきりする。
4 ) ボンクラが利益を上げることも時にはある。
5 ) 20 パーセント下落した銘柄で 5 パーセントの損失で済んだのなら、それは敗北ではなく勝利である。
6 ) 最良の防御は最良の攻撃である。
7 ) ポジションを手仕舞うことは、明日もポジションをとれることを意味する。
投資信託や、注意深く選択されたブルーチップ銘柄 (優良株) は、年金などの投資には有効である。 しかし、そういった範瞳以外の資金にとっては、短期の時間軸がより重要である。
DT01-12 ➡ 3 つの発見
ここで、私がプロのトレーダーとして成功するうえで重要な転機となった、3 つの発見を紹介したいと思う。 人生の転機となるような、ドラマチックな発見をすることはそう頻繁[ひんぱん]
繰り返し繰り返し(次から次へと)行う(起こる)さま。
자주にはない。 以下に述べることが読者の助けになり啓発となればと思う。
トレーディングで生活するということは、最初の取引を行ったばかりの初心者トレーダーすべての夢であることは間違いない。 完全な独立、完璧な自由、そして慕大な金銭的な見返りといった夢を実現できるのは、ほんのわずか一部であり、大半のトレーダーの希望は燃えつき、夢は浸食されていく。
13年前、私 (当時 20 歳であった) は、トレーディングに精通したいという欲望に駆られた。 当初、私は、将来の株価を決定するすべての情報は、過剰な報酬を受ける会計土と高束プリンターによって作成された、極めて歪んだ財務諸表にあると信じる、厳格なファンダメンタリストであった。
長い間、さまざまな比率を見ながら、重箱の隅を突つくようなファンダメンタリストにフラストレーションを持っていたが、私は、ようやく、ある企業のことをすべて知ったとしても、その企業の株を、いつ、どのように買ったらよいかはわからないということに気づいたのである。
数年間にわたって負け続け、資金が激減した後、私は人生の転機となるような発見をいくつか行った。 以下にそれらを示す。
1 ) 私が負け続けたことは、マーケット参加者が正しい銘柄を間違ったタイミングで買ってしまい、すべてを和失う可能性があることを明らかにするものであった。 これを学ぶ代償は極めて大きかったが、後に、マーケットへのアプローチや考え方は革新的に変化した。
2 ) 同様に重要な発見は、トレーダーが「間違った」銘柄でも、正しいタイミングで買えば、利益を上げることがあるということだった。 不思議なことに、この発見で私の思考は前向きなものとなった。 一般的に受け入れられている概念やウォール街における慣行がまやかしであることを認識する契機となった。
3 ) 第1 の発見と第2 の発見によって、本当はわかっていないにもかかわらず、すべてのマーケット参加者が既に知っていると主張する極めて基本的な原則が理解できた。 その原則とは、株価の上昇を招く力は、この世にただ 1 つだけ存在しており、それは単純に売りを上回る買いが存在するということである。 それだけである。
良好なファンダメンタルズは確かに株価を上昇させる。 しかし良好な経営は株価を上昇させないし、良好な収益も株価を上昇させない。 すべての株価上昇の背景にある直接的な力は、売りを上回る買いの存在である。
その力に火をつける要因は多数存在するだろうし、数多くの事象が契機となるのだろうが、直接的な力は、売りを上回る買いの存在である。
こうした発見は、微妙な要素をいくつか含んでおり、その潜在的な可能性について十分に注意を払わないと簡単に見すごしてしまうリスクがある。 第 3 の発見は、トレーディングで成功するための鍵が隠されているので、少し、敷符して説明してみたい。
もし、マーケット参加者のいない休日に、企業が堅調な収益を発表した場合、株価は上昇するだろうか。 もちろん、上昇することはない。 誰もマーケットに参加する者がいない時には、収益発表は無意味である。 これは、収益が株価を上昇させるのではなく、買いが株価を上昇させることを明確に示している。
これが訪弁であると考えるのは容易であるが、その微妙なニュアンスをとらえることができれば、読者の思考経路は革命的に変化するだろう。 これらの発見をした後、株価チャートを見て、興味のある銘柄の「買い」の程度がわかることができるようになったのは、当然といえば当然である。
チャートを見て買い手が売り手を上回るようになる瞬間を予測できるようになれば、常に財務諸表で頭がいっぱいのマーケット参加者が株価の上昇に気づく前に、その銘柄を買うことができる。
チャートを使用することによって、他人より早くポジションがとれ、手仕舞えることは、安定的に、その他大勢に勝つことができることを意味する。 すぐさま私はそれを実行するようになり、以降は、チャートが買いのサインを出している銘柄はすべて買った。
ファンダメンタルズから見れば買いではない時には、特にそうである。 なぜか。 それはチャートが買いを示唆[しさ]
直接的に指し示すのではなく、間接的にそれと判断されるような形で(多分に断片的に)手がかりを提供すること。
제안する一方で、 ファンダメンタルズがそうでない場合には、その他大勢が買い始める前に、そう、重箱の隅を突ついている人々が何が起こっているかに気づく前にポジションをとれる可能性が高いことを意味するからである。
株価が上昇している銘柄があまりにも高い PER をつけているにもかかわらず、チャートが買いを示唆[しさ]
直接的に指し示すのではなく、間接的にそれと判断されるような形で(多分に断片的に)手がかりを提供すること。
제안していれば、私はその銘柄を買った。 収益は関係ないのか。 私は、そんなことは気にしなかった。
株価が上昇している限り (要するに、買われている限り)、私は飛びこんだ。 高水準の債務、異常な受注高・出荷高比率 (ブック・ビル・レシオ=出荷額に対する受注額の割合 、 マイナスのキャッシュフローといったものは、それらが株価の上昇を阻害しない限り、耳に心地[ここち]
기분よい音楽のようなものである。 もう 1度、前文を読んでほしい。 そこにはチャートで成功するための重要な鍵がある。
言うまでもなく、私のトレーディングにおいて、これらの見すごされた宝物はかなり重要な地位を占めている。
簡潔に言おう。 財務諸表、他者のアドバイス、噂、超金持ちの社長による絵空事の収益計画などではなく、株価自体に注目することによって、私は安定的に勝つことができるようになった。 26 歳の時には、すべての生活費をマーケットから得られる利益でまかなえるようになった。 そわれ以外のことは、もう終わったことだ。
読者の1 人1人に、疑念を捨てて、チャート分析には本質的な意味があるということを認識してもらいたい。 旧態 依然[いぜん]
여전히 とした、型にはまったウォール街の人間が何と言おうと、テクニカル分析は機能するのである。
私のプロのトレーダーとしてのキャリアと、我々の提供するサービスの正確性が、その生きた証拠となっている。 ファンダメンタル分析は一定の価値を有しており、投資判断のうえで、軽視してはならないものではある。
しかし、短期のマーケット参加者は、ファンダメンタルズがトレーダーの最も重要な疑問に答えることができないことを理解しなければならない、。
その疑問とは、「どのタイミングで買うのか」ということである。 その企業の経営陣は適切な行動をとっており、また、よい商品を持っており、利益も上昇傾向[けいこう]
ある方向・態度に傾くこと。傾き[かたむき]
기울기。特に、左翼思想に傾くこと。
추세にあることはわかった。 しかし、どのタイミングで買ったらよいのか。 「いつ (出動するか)」ではなく、「何 (どの銘柄か)」ばかりに目を奪われていては、デイトレーダーとしての成功はおぼつかない。
POINT
抜かりのないトレーダーは、ウォール街が注目するファンダメンタルズの数値が出る前に株価が動いてしまうことを知っている。 それは、マーケットが織り込織り込んで [おりこんで]み機能を有していることにほかならない。
マーケットは、2~6ヵ月先に生じるだろうことを、大局的に予測することを試みていると言える。 株価の動きを確認するためにファンダメンタルズの数値が出るのを待っているトレーダーは常に数ヵ月出遅れるし、数千ドルをとり損ねる。
いくつかのテクニカル分析のルールに基づいてチャートを分析することは、「その企業がよいことはわかった。
それで、いつ買うのか」という疑問に答えることのできる唯一の分析手法である。 もし、テクニカル分析はでたらめであり、機能しないと言うような人がいれば、我々のところに連れてきてほしい。 あるいは、我々のニューズレターを見せて、こう聞いてほしい。
「これをどう説明しますか? この人たちは、チャート分析に基づいてトレーディングをしているのですよ」。
DT01-13 ➡ 愛一トレーダーのカカの源泉
米国の偉大な発明家トーマス・エジソンは、「私は一度も仕事をしたことがない。 それらはただ楽しかったのである」という有名な台詞を残している。 マーケットでのトレーディングにおいても、私は、全く同感である。
トレーディングは終わりのない喜びとフラストレーションをもたらすものであるが、リアルタイムのチャートの前に座り、コンピューターの人売買執行システムを手にした時が、私が最も生きていると実感できる瞬間であり、時間の経つのも忘れてしまう。
マーケット環境が厳しくなり、利益を得るチャンスが乏しくなった時でも、目を覚ますたびにわくわくする。 トレーディングという名のゲームが時として厳しいのは、美しい花に皿があるようなものである。
このゲームは人間に与えられた最も困難な試練である。 しかし、その困難さにもかかわらず、私は、全身全霊をかけて、このゲームを愛している。 実際、私は、その困難さゆえに、このゲームを愛している。
たいていの人々はこのゲームを続けることができない。 私は、このゲームに生き残ることによって、ほかの何ものからも感じることができない達成感を感じもことができるのである。
ほかの人々と同様に、私は損が嫌いである。 しかし、損失を出した時でさえも、トレーディングに対する愛は、とめどなく湧き出てくるのである。 トレーディングに何かを期待するのではなく、純粋にトレーディングを愛することができる人が増えれば、技術が欲にとってかわり、不注意は慎重さと思考力に席を譲り、すべての行動の基礎となるだろう。
欲深い人々の先を行くための秘密兵器を、私は持っていると確信している。 私の秘密兵器とは、トレーディングに対する私の純粋で混じり気のない愛である。 この愛は、ビザや心地[ここち]
기분のよい昼下がりを愛するというようなレベルの、弱い愛ではない。
この愛は、地球上の何者も鎮め、抑えることができない深遠な精神状態を意味する。 深いアガペのような愛である。 これが私の秘密兵器であり、私は決してこれを手放さない。
トレーディングに対する愛という秘密兵器は、私が生き残ることを助けるものである。 それは、私が大衆よりも生き長らえることを保証するものである。 成功への途上でのあらゆる困難を克服 [こくふく] 극복することを確実にするものである。 マーケットにより、あるいは自らの愚かさによりもたらされるいかなる銀難辛苦も克服 [こくふく] 극복するカを与えてくれるものである。
繰り返すが、プライドをもって私はトレーディングを愛していると言える。 そして、特に困難な時に、私はトレーディングを愛している自分を愛するのである。 そうでなかったならば、とうの昔に私は終わっていただろう。
私がトレーディングを愛するように、読者がトレーディングを愛することができれば、トレーディングのほうから、読者を愛するようになるかもしれない。 トレーディング、あるいはマーケットのほうから愛されるようになれば、人生はバラ色である。
POINT
多くの哲学者によって、愛は人間の偉大なカカであるとみなされてきた。 子供に惜しみのない愛を与えれば、彼らは力強く成長し、崇高な精神を築き、成功裏に、そして力強く明るい未来へと導かれるのである。 愛が配偶者や自らの職業に向けられれば、目覚めるたびに成功への温かい激励を受けるのである。
人生、あるいは世界は愛の力に従っていると確信している。 愛に満ちあふれ、それを惜しみなく使う人に対する報酬は非常に大きい。 意識の高いトレーダーがトレーディングという名の芸術を愛することができれば、障害となるものは何もないと確信している。 トレーダーが純粋にトレーディングを愛する時、損失は何ら障害とならない。
困難は、より容易に克服 [こくふく] 극복される。 調整や危機の時期は絶好のチャンスであり、さらなる高みを目指すきっかけとなるものである。 トレーダーにとっても、愛は強力なものである。 この愛に関する記述がトレーディングに関する書物として不適当であると思うならば、次のテストを行ってみてほしい。
成功しているトレーダーで、トレーディングが嫌いであるという人を探してみてほしい。 信じられないほどの鋭さでマーケットに参加しているにもかかわらず、自分の能力を軽蔵しているという人を探してみてほしい。
地球上のどこを探しても、そんな人は 1 人もいない。 偶然はあり得ないのである。 今日、人々の夢を上回るような利益を上げられる才能を有しているトレーダーは皆、心の上底からトレーディングを愛していると言うだろう。
問題は、今現在、彼らが勝っているからトレーディングを愛しているのかということである。 あるいは、彼らが勝って生き残っている理由が、トレーディングを愛しているおかげであり、トレーディングを愛さない者が脱落していったからなのかということである。
私は、本書を執筆しながら、後者であることに賭ける。 トレーディングを愛するよう努力してほしい。
DT01-14 ➡ トレーダーと占い師
快適と確実を求めるのは人間のもって生まれた習性である。 それを欲し、崇拝し、追い求めるようにできている。 人生の大半は、快適と確実を目指して爪を噛み、もがき苦しんでいるのである。
例えば、我々は自分や子供に学歴をつけさせようと思うものであるが、この行為をもう少し注意深く見れば、それは確実に対する欲求にほかならない。
通常、教育それ自体を目的としては見ていない。 むしろ、目的に達するための手段であり、その目的とは、安心であり、安全であり、確実である。 嫌な仕事、厳しい労働に長時間耐えられるのは、確実を求めているからではないだろうか。
あるいは、そんなに愛してもいない男性と結婚する女性が (結婚式の場で)「この男性を愛します」という、あの有名な言葉を口にする時はどうだろうか。 我々の行うほとんどすべての行為は、何らかのかたちで、安心、安全、そして確実を求める欲求に関連しているのではないか。
しかし、おもしろいことに確実を得ることは生涯あり得ない。 鏡に映った人生のようなマーケットに目を向ければ、それはいっそう真実味を帯びる。 確実は作り話に基づいたものであるというのが本当のところだろう。
それはなぜか? と読者は問うだろう。 それは、未来が完全に既知のものとなった時に、確実が生を得るからである。 我々は人間として、トレーダーとして、未来を完全に予見する才を与えられていないことは言うまでもない。
もちろん、明日のことを予想することはできるし、時には、それが正しいこともある。 しかし、それが正しいと確信を持つことはできない、。
したがって、ある意味では、確実を扱し求める行為は普遍的に失望とフラストレーションを招く無駄な努力であると言える。 マーケットにおいて確実を求めるトレーダーはあまりにも多く、それは失望とフラストレーションから情報提供サービスを頻繁[ひんぱん]
繰り返し繰り返し(次から次へと)行う(起こる)さま。
자주に替える者の多さに表れている。
あるカリスマから別のカリスマへという具合である。 こうした効稚な人々は、トレーダーになろうというのではなく、蜜かに占い師にでもなろうと思っているのである。 正しい結果が生じる確率を評価することだけができるということが、彼らには認識できていない。 それだけのことである。
彼らは決して認識することはないだろうし、彼らにとってはそれでもよいのだろう。
POINT
確実を求める欲求は、多くのトレーダーがはまり続ける罠[わな]
함정である。 しかし、生涯あるいは株式市場において、確実を得ることはあり得ないことを認識すべきである。 すべてのトレーダーは未来を予見することは不可能であると認識すべきである。
この真実を受け入れることができれば、トレーダーは間違いなく大きく前進する。 確実を追い求めることは非常に重荷だからである。 それは終わりがなく、間断なく続く成果の出ない行為である。
不思議なことに、確実を達成することができれば、精神は明白になり、落ち着きを得られるものと信じられている。 しかし、逆説的ではあるが、確実を達成することができないと認識した時に、精神は落ち着きを得られるのである。
確実は決して達成することができない作り話である。 明日を「予見」 することは不可能である。 明日生じるだろう事象の確率を評価するために、いくつかの手段と技術を得ることができるだけである。 それが唯一の手段である。
確率の高い行動を追い求めることができれば、プロのトレーダーへの道は開けるだろう。 確実を追い求めあれば、失敗と失望と落胆に満ちた未来が待っている。 確実ではなく、高い確率を模索すべきである。